仁摩の郷愁風景

  島根県仁摩町<港町・漁村> 
地図
(宅野)地図(馬路) <大田市>
 町並度 5 非俗化度 10 −大森の銀の積出港として繁栄を極めた−





宅野の町並 宅野の町並




宅野の町並 馬路の町並




馬路の町並 馬路の町並



馬路・鳴き砂の浜として知られる琴が浜
 

 仁摩町は島根県石見地方の東端、大田市の西にある。郡名は邇摩郡、駅や港は仁万と表記される。
 かつて大森が銀山景気に湧いていた頃、この周辺の港町はその積出しで賑っていた。特に馬路浦が代表的で、博多方面に得意先を得て銀鉱石を買付ける緒船の出入りが絶えなかった。未曾有の繁栄を来たしたという。
 江戸時代は石見銀山領で、幕府の直轄地であった。現仁摩町に属する諸村は、銀山の運営に必要な木材などの供出が義務付けられ、また一部の村では、大森代官所の添村として火災などの非常時の防衛を担当していた。仁万に船表御番所が置かれて、その運営費や建替えなどの費用も沿岸部の諸浦が負担していた。
 産業としては漁業と林業があったがいずれも零細なもので、銀山の恩恵に頼る部分が大きかったものと思われる。しかし江戸末期になると鰯の地引網など沿岸漁業も盛んとなり、沿岸地域の人口が急増していった。
 町内の海沿いの集落の中から宅野と馬路を選んで訪ねてみた。双方に共通なのは、赤瓦が優勢な山陰地方にあって、集落を俯瞰すると黒っぽい色彩に包まれていることだ。銀色を帯びた黒でなく但馬地方を思わせるような純粋な黒である。他国からの船の出入りを通して文化が飛び火していたのだろうか。
 宅野は町域の東端にあり、平安期から続く古い集落である。港とともに商業が発展していて、「当村少しの町場にて、米麦塩茶並びに小間物類売買仕り候」(天保年間の村差出明細帳より)とある。酒造業や油商もおこり、また大森銀山経営に必要な鉄材を産する鈩(たたら)も存在した。現在でも土蔵を幾棟も従えた醤油醸造業者が営業中であり、また土塀に囲まれた広い敷地の旧家などが散見され、かつての繁栄を伺うことができる。
 仁万を挟んで宅野の反対側に位置する馬路は海岸に沿う一本道に細長く家並が続く。海沿いで潮風がきつい為か粗末な板張りが多いものの、伝統的な町家建築も所々に残り、古い町の佇まいだ。銀の輸送が陸上に移った江戸末期からは左官業などの出稼ぎ職人による送金で、それでも結構潤っていたと聞く。地方の一寒村という雰囲気でありながら、端正な格子が残されている姿などにその名残を感じることができる。
 馬路集落の眼前に広がる日本海岸は琴が浜と呼ばれ、数少ない鳴き砂の浜として知られている。美しく弧を描いている砂浜に降りると、キュッキュッと微かな音がした。しかしゴミや芥の散らばっていない粒度の整った箇所でしかそれは聞こえなかった。綺麗な砂を象徴する鳴き砂の浜を、背後の集落とともに残して欲しいと願った。

 

  

訪問日:2005.03.21 TOP 町並INDEX