人形町の郷愁風景

東京都中央区【商業町・都市部の非戦災地区】 地図
 
町並度 4 非俗化度 5  −都心に残る奇跡的な非戦災地区−




日本橋人形町二丁目の町並
 

 日本橋人形町は一般には人形町の名で通っており、それは江戸時代に人形浄瑠璃の芝居小屋が並び、人形職人が多く居住していたことに由来するという。江戸城下の町人町で、各種商業が早期から盛んで、この付近がその中心をなしていたという。
 東京の重心は次第に西側に移っていったといわれ、現在の日本橋付近はそれよりやや東に偏した感がある。しかしこの辺りが古い都心地区であり、中山道や東海道がこの地から始まり、江戸時代から長らくの間日本の中心といってよい地区であった。明治初頭に、隣接する日本橋蛎殻町に水天宮が移転してきたことも人の流れを引寄せ、都内で最も早くアーケード街が形成された。
 そのような古くからの繁華な地区に、常識的に町並としては古い姿は残っていないと思われる所だろうが、それを覆す箇所もある。その一つがここに紹介する人形町である。
 戦時の空襲でこの町だけが周囲から焼残ったという。この町を歩くと、都心とは思えない建物が多く残っているのに気付く。中でも密度濃いのは二丁目付近で、胸壁を街路に向けて高く立ち上げた外観の看板建築や、二階正面を銅板で被われた家屋など東京の古い町並らしい風景が残っていた。中には三階建の木造建築も見られ、背後の高層ビル群との著しい対比を示していた。
 下町という定義は曖昧だが、古くからの町という意味ではここは正真正銘の下町で、数代前からの江戸っ子も少なくないという。建物の高さもこの付近だけは低いようで、一時代前の姿が残されているように思う。
 この町は水天宮や甘酒横丁と呼ばれる町筋などが注目される一方で、町並という点では開発をある程度免れてたまたま残っているというだけで、将来面影はだんだん淡くなり消滅してしまう可能性も少なくない。都市部ということで難しい問題もあるだろうが、貴重な下町情緒を残す地区、風情を残していく手段はないものだろうか。






日本橋人形町二丁目の町並






日本橋人形町二丁目の町並 水天宮 人形町はこの門前町としての顔もある


訪問日:2006.11.05 TOP 町並INDEX