似島の郷愁風景

広島市南区<漁村> 地図 
 
町並度 4 非俗化度 7 −軍事的事情に振り回された歴史を持つ広島湾の島−

       




 

 
似島は広島港からの船便では最も短い航路で、港の先に島が見える。
 島名の由来は、江戸時代に荷継ぎの港があったことから荷の島と呼ばれたこととも言われる。
 17世紀半ばに本土からの移住者が住み着いたのが始まりとされ、以後鰯などの近海漁業を行う漁村として発達した。そういうと長閑な情景が思い浮かぶが、明治以降は軍事的な影響を強く受けた歴史を持つ。日清戦争時には陸軍の検疫所が設けられ、日露戦争の折にはロシア兵の捕虜をこの島に収容した。その後第二次大戦に向けて陸軍の倉庫、兵器補給廠なども置かれた。昭和20年の終戦時にはおびただしい被爆者が運び込まれ、数千人に及ぶ死者が荼毘に付されたといわれる。
 戦後、高度成長期には付近の海底から砂利の採取が盛んになり、ガット船と呼ばれる船が周囲の海域にひしめいたという。
 そのような波乱万丈、悲劇も味わった島ではあるが、現在は静かな島の集落風景が広がる。港から集落内に向う道は車両の通行が可能な道は極わずかに限られ、路地が主体の町並となる。土蔵や素朴な民家が自然に残り、見応えのある古い町並とまではいえないまでも、市内から3km弱のところにあるとは思えないのどかな風景が展開する。









訪問日:2003.10.19
(2016.10.09再取材)
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※全て2016年再取材時の画像