西枇杷島の郷愁風景

愛知県西枇杷島町【商業町・街道集落】 地図 <清洲市>
 
町並度 4 非俗化度 8 −旧美濃路に沿って多数の問屋の立地を見た旧市場町−


 
西枇杷島の旧美濃路沿いの町並


 西枇杷島町は庄内川を挟んで名古屋市西区に接しており、都心部まですぐの距離にある。町域を東西に東海道新幹線と東海道本線が横断しており、また名古屋鉄道本線、北に向って同犬山線が分岐している。
 そのような交通の錯綜する大都市近郊地域で、古い町並などは残っていないだろうと察せられるが、名鉄線の南側には東海道の熱田宿と中山道の垂井宿を結んでいた美濃路がその道筋を残し、近代に至ってそれが主要道として利用されたり拡幅されることもなかったため、古い姿が随所に残っていた。
 宿駅は西側の清洲に設けられており、ここは街村の形式を取り通過する旅人に対する各種商業が栄えていたものと察せられる。特に市場町として大きく栄えた歴史を持つとされ、前身の小田井村時代には尾張のみならず全国に轟く青物市場が存在していたという。下小田井市ともよばれたこの市場町は、慶長16(1611)年に徳川家康が京都に向う際に、庄内川の渡船の命を受けた二名の者に新興都市名古屋を対象とした市を設けるように勧めたことがその契機といわれている。江戸の末期には38軒もの問屋が存在していたといい、扱う品物も青果だけでなく日用品全般に広がった。尾張藩内の他の村で類似の問屋営業の申請があった場合には、藩主の判断により却下される権利も有していたという。
 町域における美濃路の東端は庄内川を渡る枇杷島橋で、その袂に問屋という地名が残る。隣接する西六軒・東六軒という名は、当初ここで開かれた問屋の数が六軒だったことによるという。古い町並としては新幹線をくぐったこの六軒町付近から姿を現し、旧新川町域に入った新川橋近くまで約1.5kmに渡って続く。なかなか長い町並である。町家は古いものでは平入り、中二階など近畿から瀬戸内地域にかけてと共通点の多い姿で、二階は虫籠窓の代りに鉄格子窓が多く見られる。本瓦葺の屋根は見られなかった。
 この街道筋は商店街ともなっており、またマンションも所々に建設され、伝統的な家屋はやや歯抜け状であり連続した箇所は少ないが、都心から5kmと離れていない地点としては奇跡的といってもよかろう。東西に長く連なるその姿はかつて名古屋の台所として大繁盛していた町の風景を想起させる。
 特筆すべきは軒屋根の上に屋根神が多く見られたことで、これは防火の神様とされる秋葉様を祭ったもので、中には津島神社や熱田神宮などを合祀したものもあるという。尾張地方を中心として私が見たところでは岐阜市や美濃市、西三河の西尾市などでも見られ、東海地域の町並の一つの風物詩ともいえるものである。
 

 








町並は商店や雑居ビル、マンションなどに取って代われてた姿も目立つが町家建築も二割から三割程度残る。


 
屋根神様と呼ばれる小さな祠も多数見られる。このように階段状の桟木を前面に取付けているものもあった。


訪問日:2006.07.16 TOP 町並INDEX