宇佐郷の郷愁風景

山口県錦町<在郷町> 地図 《岩国市》
町並度 5 非俗化度 10 −中国山地の過疎の山間に残るかつての商店街−





宇佐郷の町並




 岩国城の近くを流れ瀬戸内海に注ぐ錦川は中流から上流域に大きな町がなく、清流を保っている。川を遡る形でもと国鉄岩日線の錦川鉄道が錦町までを結び、清流線として地元以外からの乗客も多い。
ここで紹介するのはその終点からさらに遡った、中国山地の只中にある集落である。この地域は全国的にも最も過疎が進んだ所とされ、高齢化率も極めて高い。錦町中心部付近から先はほとんど集落といえるほどまとまった町はなく、深山に分け入る趣がある。高い山の少ない中国山地の中では比較的標高の高い山が多く、地形もなだらかではない。


 
 そのような所に現れるこの宇佐郷という集落は支流の宇佐川に沿い、それでも比較的町並としてのまとまりを持っている。ほぼ一本の街路に沿って約300m程と短いが、その家並には歴史を経た重厚さが感じられる。
 地図を見るとこの付近が小さな盆地状を呈し、岩国方面、南東部の本郷方面、島根県六日市方面、さらに大きな峠を越えて広島県吉和方面からの道路が合流している。これらはその道路線形より古くからの街路であることがわかる。近辺の山村から人々や物資が集まる町だったのだろう。
 江戸期の記録では極少数の大工、桶屋、宿屋などがあっただけで多くが農家であり、岩国藩の奨励で紙漉を行っていたが、製品のほぼ全量を貢祖として藩に納めなくてはならず、楽な生活ではなかったようだ。原料の楮(こうぞ)が不足して生産が困難になっても、他村から購入するなどしなくてはならなかったため村人は窮乏し、享保3年には一揆も勃発している。
 しかしここに見る町並には大柄な二階建の建物が幾つもあり、二階部の造りから宿泊機能を有していたものもあったようだ。周囲の山村の者たちがこの町に出てきて生活物資を仕入れ、また或る時は遠方からの客がここに投宿することもあったのだろう。石見地方を中心とする赤褐色の瓦屋根が過半数を占めることからも、この町は山陰地方とのつながりが濃く、旅人の往来も多かったのかもしれない。江戸期に建てられたような古いものはないが、高い二階の立上りは明治以降の商家・店舗建築の姿をよく残し、短い距離に凝縮されたような古い町並であった。
 現在も店として営業しているものは数軒しかないようで、この町の灯も過疎化の中でいよいよ乏しくなってきているようで、それが気掛りであった。
 







訪問日:2006.12.17 TOP 町並INDEX