西尾の郷愁風景

愛知県西尾市<城下町> 地図
 
町並度 5 非俗化度 6  −商人街の面影が残る西三河の城下町−


肴町の町並


 三河地方の南西部に位置する西尾市は矢作川左岸の平野部に市街地が開けており、名古屋鉄道西尾線によって交通も至便の土地である。
 三河国では藩政時代吉田(豊橋)及び岡崎の城下町を構え、江戸の徳川家康に備えて東海道沿いに豊臣系有力大名を縦列的に配置した戦略を三河で引継ぐ拠点とされていた。西尾城は東海道から外れてはいたものの岡崎の支城として位置づけられ、城下町は存続していた。
 西尾城は天正13(1585)年に国中から人足を動員して建立された。18年には秀吉に仕え、岡崎城主と兼任だった田中吉政が城下町の整備を進めたといわれている。その後三度にわたり城は改築されたが、三度目の明暦3(1657)、四代目城主太田資宗が城下町を包み込む総構えとした。堀と土塁で取り囲み、外部から出入りできるのは五ヵ所門と呼ばれる通用門だけであった。しかし城下町には他の多くのように武士と町人が住み分けておらず、百姓家も含まれていたという。地方の小城らしい構えであった。本格的に城下町として繁栄するのは松平氏が入城する明和元(1764)頃からであった。
 古い町並は肴町通りを中心として見られ、商店街ともなっているが平入りの町家建築が連続し、中には豪商らしい間口の広い旧家もある。侍屋敷に近いところにあったそうで、彼らの日常生活を支える商店の連なる姿が踏襲されているようだ。庇屋根の上に秋葉神社を祀った平井家は江戸末期の建築といわれるが、多くは明治大正以降に更新された比較的新しい家々で、二階の立上りが高い。しかしそれだけに迫力を感じることが出来る町並だ。この裏手には寺院が計画的に集められた順海町界隈があり、迷路のような街路を辿ってみるのも面白かろう。
 
 




肴町の町並 天王町の町並




本町の町並 アーケードが外され整えられた古い町並が出現している 順海町の町並


 ここに掲載する写真は主に再訪問時のものであるが、以前は駅に近い辺りから古びたアーケードの連なるやや活気の乏しい商店街が続いていた。駅前通りはすっかり装いを新たにし、旧西尾銀行などの貴重な建物は消えてしまっていた一方で、本町通りは古い町並の風情を高めたといえる。その中には劇場を思わせる大黒屋呉服店、袖うだつが見られる大店など町の中心らしい見応えのする伝統的建物も見られた。老朽化したアーケードを撤去し、レトロ調の街灯の設置、和風の外観を強調した店舗の改装など町並を意識した取組が行われている。整備された町並という印象でありながらも素材のよさが最大限に引出され、この点は評価したい。
 肴町界隈を含め、古い町並としてどう保存活動を展開していくか、今後注目したいところだ。




本町の町並 正面は旧西尾銀行の建物 会生町の町並
 

 後半2枚:2003年5月撮影
 その他:2010年1月撮影
訪問日:2003.05.03
(2010.01.02再取材)
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