西脇の郷愁風景

兵庫県西脇市<商業都市・農村集落> 地図
 
町並度 5 非俗化度 8  −農業から地場産業、商工業へと発展した町−  






 
西脇を代表する旧家、旧来住家住宅(公開) 土蔵の連続する町並






細い路地に沿い町家建築、屋敷型旧家が多く見られます。






農業集落のような雰囲気の町並風景です。 国道沿いに見られる町並

 
 

 加古川上流に開ける西脇市一帯は、古くから農業が栄えていた。肥沃な平野が広がり、近世に入ると新田開発が盛んに行われ、気候も温和であり米・麦の二毛作が実施された。豪農・豪商も早くから現れていたという。また米作から酒造業も発展していた。
 街道の往来が頻繁となった近世にあって、他地域からの行商人や奉公人により菅笠・梳櫛・播州縞・凍豆腐・竹籠・釣針などが主に農閑期に行われるいわゆる農間余業として導入され、以後地場産業として根付いていった。中でも木綿織産業は、明治期に入り西脇の伝統産業を代表するものとなった。明治22年多可郡縞木綿業組合設立、翌年には「力織機」が導入され本格的な産業革命が起っている。日露戦争時の軍需とも重なり、加古川流域における商工業の中心にまで成長している。
 現在は市街地が加古川と支流杉原川の合流点付近全体に拡大しているが、古い西脇の町は杉原川に沿う西側の部分である。この地区は網の目のように複雑に入組む道筋が残っており、その一帯に伝統的な家屋が多く見られる。
 町並の姿は商業町というより農業集落に近い形態で残っていた。その色がより濃いのは町を横切る国道427号線より北側の部分である。ここでは路地が無秩序ともいえるほど入組み、塀を巡らした中に入母屋造りの主屋と中庭・土蔵を持つ旧家が多数残っている。広い街路に沿い切妻平入の町家が並ぶ、商業都市らしい町場の姿ではない。本瓦を葺いているものも多く、大半は煙出しが屋根に残っていた。
 その一角に旧来住家住宅がある。主屋は入母屋造り平入で大正初期の建築ながら中二階で虫籠窓を付けている。代々大地主であった旧家で床面積約600平米、土蔵2棟と離れ座敷を有する。浴室にはタイルなどに大正時代らしい粋が感じられる。
 この家並の中で「よそ行き」なのはこの旧家だけであり、後は町並としては全く紹介されることもないそのままの町が連なっている。国道を挟んだ南側も、漆喰に塗込められた家々や銭湯の姿など、もう少し時代が進んだ昭和初期から戦後にかけての町並が残る。
 この地区が再開発などで根こそぎ更新されてしまうことのないように祈りたい。
 


訪問日:2003.09.07 TOP 町並INDEX