大阪駅から環状線で2駅、近代的な高架駅の野田を降りると、確かに駅前はどこにでもある都市部の駅前の雰囲気であるが、細い路地を一歩入ればそこは下町風情溢れる町並だ。長屋風の建物が連なり、庭先に鉢植えを並べた木造建築が続く。袖壁を両端に従え、格子を構えた伝統を感じさせる民家も多く見られるではないか。これは古い町並と言うに充分である。こんな大都市の都心に近い位置に町並があろうとは。
この一帯は戦時の空襲から焼残った地区である。たまたま空爆を免れたり、風向き等で焼失を免れた地区はたとえ大阪のような大都市であってもかつての風情をどこかしこに残しているものだ。その中でこの野田地区は、以後も都心の周縁部であったため戦前から続く伝統的な下町風情が、自然な形で残された典型的な例だろう。
町を歩くと人々の姿も町並にふさわしいものがあった。ある路地では子供が全裸になって水遊びをしている。銭湯に通う人の姿、手押し車でのんびり路地を歩く老婦人の姿も絵になる。遠くを見れば高層建築のマンションなどが眼に入り、都会なのだと思わせる。時代のスポットとも言うべきところである。
野田は古くは野田洲と呼ばれた淀川と安治川の間の中州であったという。近世になって漁業が盛んになり、鰯などの近海漁により生計をたてていた。明治以降は工業も誘致されたが、住宅地の風情は当時からそれほど変わりないようにみえる。入組んだ無秩序な路地は、たしかに漁師町を髣髴とさせる。
JR野田駅を中心に、北は阪神電鉄の野田駅の南側から南は安治川に接する中央市場の近くまで、下町風情は面的な広がりを見せて残っている。一本の町筋を機械的に歩くだけでは、なかなか全容を把握できない。路地に分け入り、迷路を辿るようにあてもなく思い思いに歩くことで、この町並の魅力が感じられるだろう。
特記すべきは家の両脇に誇示するように掲げられた本うだつのような構築物が見られる家や、銅板に被われた壁を持つ家があることだ。特に後者は東京の下町にも共通している部分で、都市の住宅地として、遠くはなれた地でありながらもお互いを意識していた色が窺えるようだ。
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