野忽那島の郷愁風景

愛媛県中島町<漁村・港町> 地図 <松山市>
 町並度 5 非俗化度 10 −漁業を基盤に行商・柑橘農業で発展した小さな島の集落−






 野忽名島は中島を主島とする忽那諸島の最東端を占め、面積は0.7km2と小さな島である。山がちの地形ではあるが北部には砂州状の地形があり、集落が形成されている。


 


 古くは野島と呼ばれ、10世紀には早くも定住者が現れたという記録がある。江戸期には漁業集落として発達し、明治36年には漁業組合が発足し組織的な漁業が行われた。また商船も多く、北海道から九州まで広範囲に商圏を持った。主な積荷は反物であった。大正から昭和初期が最盛期だったが、戦後しばらくまで行われていた。
 現在は漁業と柑橘栽培の島として知られている。
 松山からの船が発着する船着場付近から南に大きな集落の広がりがある。砂州状の平地にほぼ限定した家並の展開で、漁村らしく路地の入組んだ箇所が多い。ただ家々の姿は農家を思わせるものも少なくない。また南部の一部には、長屋門風の門構えを持つ厳かな外観の邸宅を眼にすることが出来る。これらは、もと漁家であったものが蜜柑などの農家に転身したものなのだろうか。あるいは、小さな島には不似合いなその構えから反物の行商で財を築いた名残なのかもしれない。
 
 
 








 

訪問日:2016.08.11 TOP 町並INDEX