鹿島路の郷愁風景

石川県羽咋市<農漁村集落> 地図
 
町並度 5 非俗化度 10 −農業と邑知潟の漁業で発展した−






 

 

街路に沿い見応えある妻入りの建物などが見られる鹿島路の町並


 羽咋市鹿島路町は市域の北部、能登半島南部のやや内陸に位置し背後は丘陵が迫る平地に家並が展開する。
 地区の南側に展開する低地は半島を南北に分ける地溝帯で、古くは湾が奥深くまで入り込みその後入口がふさがり潟湖(邑知潟)となった。周囲も長らく低湿な沼沢地であったため、水害等に見舞われることが多く干拓事業が江戸期から続けられ、今は羽咋川の調整池のような形となっている。
 鹿島路村の主産業は農業であったが、この邑知潟での鮒、ボラなどを漁獲し金沢に出荷するなど漁業も盛んで、水藻も肥料用として採取された。また海老や雑魚は近隣の村々で売られた。
 天明5(1785)の記録では、出来高として大麦45石、大豆4石5斗、菜種1石5斗などの農産物とともに、鮒50籠、ボラ80籠などの漁獲のほか、綿や木綿などの加工品も計上されている。干拓により造られた農地と内水面漁業が基幹産業であった。明治後半には邑知潟の専用漁業権を得て鮒や鰻漁が行われ、明治から大正にかけて1000人余りの人口を数えた。
 昭和42年の干拓事業の完成により邑知潟は漁場ではなくなり、陸封されたような形になっている。集落は丘の裾に沿って展開し、県道とJR七尾線も並走しているので、かつては水際に沿っていたのだろう。旧道は曲線が連なり、自然の地形に従っている。これは能登街道の一部で、人々や物資の往来もあっただろうが、家並からは街道集落というよりは農村集落の趣だ。二階部が立派に立上り妻部に見事な真壁を見せる旧家。街路から控えた位置にある付属屋にもそのような姿が見られ、裕福な農漁村集落であったのだろう。
 七尾線の駅はなく県道からも入組んだ位置にあり、人知れず展開する家並であった。
 


訪問日:2023.07.17 TOP 町並INDEX