宇出津の郷愁風景

石川県能都町【港町・在郷町】 地図 
 町並度 6 非俗化度 7 −鰤漁そして北前船の寄港地ともなった奥能登の中心の一つ−

   

 宇出津は内浦と呼ばれる奥能登の富山湾側のほぼ中央に位置しており、穴水と珠洲の間では最も大きな市街地を形成している。
 中世には宇出村と記され能登国珠洲郡に属していた。比較的波静かな内浦にあって、深い入江となり天然の良津であったため漁業が発達したほか、城が築かれ要塞の地ともなっていたという。
 江戸時代に入ると、加賀藩に対して町を建造する請願がなされ、元和3(1617)年に宇出津新町の建設が着手されている。その際山側が表町、海側が裏町と区分された。
 輪島と並ぶ奥能登の要地とされ、経済的にも中枢的機能が与えられ在郷商業町として発達した。山側が表町とされたのもその表れだろう。
 むろん漁業も盛んで特に富山湾を漁場とした鰤漁が盛んであった。ここを拠点に能登各地に売り捌かれ、随一の漁村であった。
 また宇出津は江戸中期より盛んになった西廻り航路の寄港地としても機能しており、北前船と呼ばれた商船が頻繁に発着し、町はそれらとの商取引で賑わった。
 奥能登地方は陸路の開発が遅れ、明治に入って以降も通運は海路に頼っていた。明治18年には七尾との間に定期航路が開設され、半島南部や加賀地方との物資の流通が盛んになり、この地域では先進的な町であった。



宇出津の町並  










 
 市街地は現在U字型の入江を取囲むように展開している。その中で西側の湾沿いに古い町並が残っていた。その範囲は広くはないが、間口の広い平入りの商家建築が連続性を保ちながら連なっている。袖壁などの意匠、軒を張り出させたせがい造りなど北陸地方一帯で見られる商家の構造と共通しており、漁村というよりも廻船で栄えた港町、商業町といったイメージが濃厚だった。
 古い町並の残る一帯は地道風にカラー舗装され、伝統的家屋も意識されて手を入れたような色が伺える。しかしそれがとても控えめで、自然な感じで町並の風情を高めていた。 

訪問日:2013.05.02 TOP 町並INDEX