今市の郷愁風景
今市の町並 街道の中央に残る石畳が特徴だ | |
熊本城と豊後鶴崎とを結ぶ街道は肥後街道(肥後側からは豊後街道)と呼ばれ、加藤清正によって整備され参勤交代にも利用された。途中に険しい阿蘇外輪山の山越えがあるがほぼ最短経路であり、鶴崎からは海運とを併用していた。 今市宿は西は久住宿、東に野津原宿を控えている。付近は久住高原などを源流とする中小河川が多く流れ、数多くの谷間を形成しており、この今市は七瀬川と芹川との間にある狭い台地に展開する。ここは豊後岡藩により建設された宿場町で、今市組の大庄屋も置かれた。一般の旅客のほか同藩の参勤交代時に利用された。 一番の特徴は旧街道時代の石畳が残っていることだ。街路の中央、幅2mほどに石畳が施され、中間には直角に2度折れ曲り宿場全体の見通しを遮断したほか、この付近に火災の延焼を防ぐ目的で竹藪を設けていたといわれる。 街路は鶴崎に向かって緩い下りとなっており、鍵曲りの前後では石畳の連なりが見事に見渡せる。ただ少し残念なのは、往時の建物がごくわずかしか残っていないことだ。所々に当時の屋号が示されていたが空き地となっていたり現代風の建物に代わっていたりする。むしろ石畳を主題に、古びた石垣や家々に端正に植え込まれた木や花が街道に接して見られることで、風景として趣を感じることができる。 |
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訪問日:2011.04.30 | TOP | 町並INDEX |
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