野里(姫路城北東側)の郷愁風景

兵庫県姫路市<城下町・商業町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 6  −姫路城下の入口 商業が栄えた−

 



大野町の町並


 姫路城の野里門は現在の河間町付近にあったとされ、この古い町並の見られる街路は但馬道という旧道であった。江戸の当時から城下への入口の町並として商店が集積し、賑やかであったという。
 古くは野里村と呼ばれた地域で、江戸初期の資料では「いもし町」「てら町」「河間町」などの町名が見える。現在では野里と付く地名はここで紹介するうち一部であるが、最後に掲載した竹田町付近以外は旧野里村であったことから、野里の町並として紹介したい。

世界遺産となった姫路城を間近に控える地区に、城下町の遺構を伝える区域が古い町並を伴って残っている。城の東側から北東側、国道2号線と播但線、城の東側を南北に走る県道に囲まれた一帯で、特にこの区域の北部、威徳寺町から大野町にかけてを中心として町家建築が多く残る。

  平入りで二階には虫籠窓を残し、市街中心に程近い地区であるのに古い町並の匂いが濃厚に感じられる。古い家々が多く残るのは主に先の県道の一本東側の一筋である。ここは商店街となっていて、舗装は煉瓦調、あちこちに商店名を示す標識や看板が眼に入る。但しここはアーケードに被われることなく建物の全体像が見渡せることと、商店の密度も濃いものではなく、普通の古い家屋が挟まり、古い構えをそのまま利用した店舗の姿も多い。中には近代洋風建築や、大阪などの非戦災地区で見られるような屋根部分が二重三重になったような戦前の住宅の姿も見ることが出来る。 姫路市街は戦災の影響を受けているが、この地区は運良く焼残っている。


野里寺町の町並




威徳寺町の町並




鍛冶町の町並 野里寺町の町並
 
 明治時代になっても、生野の銀山からの鉱石の運搬路となり、また歓楽地として指定されたりして特に北部の但馬地方からの市街地の入口として栄えたところである。歓楽街・遊郭の面影は北端付近の梅ヶ枝町付近に、僅かにその名残が見られた。
 江戸期からの商店街がそのまま現代に継承された格好になっているが、町の風景としては未だに古い町並として評価できる質及び量を保っている。一部では市が独自に都市景観重要建造物として指定し、保存の態勢を取っている建物もあった。
 古さの良い部分を前面に出して、町の景観を後世に伝える価値のあるものが、この町並には残されていると思う。ただ、単なるレトロな商店街としてメディア等に訴えてしまうと個性が失われ、テーマパーク調の観光地になってしまうような危険性も孕んでいる。
 




威徳寺町の町並 竹田町の町並


訪問日:2007.02.11 TOP 町並INDEX