野沢の郷愁風景

福島県西会津町<宿場町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 7 −参勤交代時の泊地となることも多かった越後街道の宿駅−



野沢の町並


 西会津町の中心集落である野沢は会津盆地とは隔てられているものの、阿賀川の支流沿いに開ける比較的低平な土地に恵まれ、磐越西線の駅や磐越自動車道のICも設けられ会津若松方面、さらに郡山・新潟方面からも容易にアクセスすることができる。
 江戸期には越後街道の宿駅が設置されていたところである。阿賀野川水運の拠点であった津川と若松城下の中間点にあったことから村上・新発田藩の参勤交代時の泊地となり、本陣も設けられていたという。
 
戦国末期には既に会津と越後を結ぶ要地となっていたとされる。町場は野沢本町と野沢原町とで構成され、寛文6(1666)年の『野沢両町土地帳』の記録では原町は110軒・752人、本町は52軒・396人の家屋と人口を擁しており、既に本格的な町場が形成されていた。特に原町には問屋も設置され、六斎市も許可されていて、御茶屋もあり賑わいを見せていた。
 幕末に至ると、当地出身の渡部思斎が私塾「研幾堂」を開設し、「東北の松下村塾」と云われるほど多くの優秀な人材を輩出した。交通・経済交易・文化に至るまで西会津の枢要地としての遺憾なき地位を誇っていたところといえる。
 町並を歩くと街道筋の両側に商家や町家の並ぶ典型的な街道集落の展開でありながら、途中で二度の鍵曲りがあり遠見遮断がはかられた計画的な町並であったことがわかる。今見られる名残は宿駅時代に続く明治以降の商業町としての顔であろうが、長らく地域の中心として息づいたらしい色が歩いていると濃く伝わってくる。
 古い町並としての連続性という点では今ひとつではあるが、店蔵や商家の建物などの個々の質感は高いものがあり、訪ねる価値のあるレベルの町並であるといえるだろう。 










訪問日:2019.04.29 TOP 町並INDEX