大洗の郷愁風景

茨城県大洗町<港町> 地図
 町並度 4 非俗化度 6  −漁村から港湾都市へ発展を遂げた町−
 
 



 
町域東側を中心に商家建築や造り酒屋などが見られる大洗の町並 
 

 大洗町は県都水戸より南東に10kmほど、鹿島灘に面し、郊外地ともいえる位置にある。
 中心市街地を構成するのは港町であった磯浜町と宿場町だった大貫町で、磯浜町はかつて宮田村と呼ばれていた。
 古い町並として着目すると、磯浜町の方により歴史を感じさせる佇まいが残っている。それは特に近代以降に港町として大きく発展してきたことによるものと考えられる。
 元禄15年に戸数600余・石高1071であった磯浜村は、天保5(1834)年には868戸、1195石と発展した。一方大貫村も河岸が設けられ、運送問屋も立地し干鰯、米、煙草などが取引され活況を示した。
 明治に入ると水戸との鉄道敷設が計画され、大正11年に開通して以後は磯浜町が発展の中心となった。水浜電車と呼ばれたこの路線は大勢の観光客や海水浴客を運び、那珂湊とともに県下有数の海浜観光地となった。この時期に多くの旅館も立地しており、商店も急増した。
 また漁業も明治以降は県の政策により磯浜地区が最重視され、漁港も築港されたが那珂川からの堆砂の影響か成功せず、那珂湊にその座を譲った。しかし水産加工業さらには戦後になって大規模な港湾整備が行われ、現在は商港そして北海道への旅客船も発着するなど本格的な港湾都市として位置づけられている。
 現在の磯浜町はフェリーターミナルのある地区からは奥まっているが、古い街区はかつての海岸線に沿い緩い円弧状に展開しているのが特徴である。その中でメインの街路であったやや広い通りは商店街の様相が強いものの、複数の旅館が現役で営業され、老舗らしい商店の姿、看板建築などが散見され水浜電車開通後の賑わいが伝わってくる。古い町並らしいのは大洗磯前神社に近い東部で、造り酒屋が重厚な構えを残し、町家風の建物が何棟か連続した姿も見られる。
 小高いところから見おろすと、建て込んだ古くからの市街地の先にそれとは対照的な近代的港湾風景が望まれた。
 




 




 

 

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訪問日:2023.03.31 TOP 町並INDEX