小布施の郷愁風景

長野県小布施町【商業町地図 
町並度 5 非俗化度 4 −豊かな商業と文化を持つ北信濃の町−





小布施の中心街には古い商家・造り酒屋などが散見される


 小布施町は長野盆地の北東部、南は須坂市、北は中野市に接している。長野電鉄が通り交通の便は比較的良く、比較的平坦な地形に恵まれ市街地や耕地が広がっている。
 この町は訪れる人も多い。それは商業が栄え、それを基盤に文化の発信基地として多くの文人墨客が訪れ、その残照が色濃く残っているところとして町づくりに力を注いできた結果である。
 江戸時代初期には谷街道と須坂市方面からの脇街道との交差点に定期的に市が開設され、やがて常設の店舗が整備される過程で上町・中町・東町・横町などの町場が発達していった。須坂のように城下町だったわけではなく、また宿駅に指定されていたわけでもない。しかしこの十字路を中心に商業交易の中心として大いに賑わうこととなった。また江戸中期には一時天領として陣屋も置かれており、代官であった市川孫右衛門が裁判などの司法行政、年貢の徴収などを行っていた。
 後背地の農村地帯では木綿や菜種の栽培が盛んで、製油(菜種油の精製)業、綿布生産などの産業も興って、信濃国内のみならず上州にも出荷された。商人も吸い寄せられるように集結し、それは穀物や塩をはじめ酒や太物(麻や綿の織物)・薪炭など多岐にわたるものであった。
 明治中期に信越本線が開通すると、信濃川を挟んだ豊野駅を玄関口として小布施を経由し中野・湯田中をはじめ北信地方への拠点として繁栄をみた。それはやはり既に江戸時代から商業的基盤が形成されていたことが大きかったのだろう。小布施の豪商たちは小布施銀行を設立し、養蚕などの産業も盛んだったことから中野や須坂をも凌ぐ商店街も発達した。それは大正後期に飯山鉄道(現飯山線)が開通して交通の流れが変わるまで隆盛を極めていた。
 小布施駅から南東に約500m,中町交差点付近が町の中心であり、国道403号線沿いを中心として観光客の姿も目立つ。主な施設は晩年の葛飾北斎が逗留して、ここに大作を遺したことを記念した北斎館、銘菓を販売する小布施堂などである。小布施堂の正門は近在諸藩から家老待遇を受けていた商人市村作左衛門の屋敷の門として厳かな姿を見せ、内部には母屋をはじめ広大な庭と土蔵などが見える。また道路を挟んだ陣屋跡の小路は土蔵と塀に囲まれ、静かで深い趣を感じさせる。但し全体的には、豪商の邸宅や大店が保存され、また店舗などとして引き継がれているものの、伝統的な古い町並という観点から言うとやや物足りない。連続性が低いからであろう。しかしこの小布施は歴史ある伝統的な建物を現代の町並景観の中に活かす涙ぐましいほどの努力を重ね、小布施方式とも呼ばれる成功例とされる。やや観光地化されすぎであるやに私は思うのだが、素材は良いのでテーマパーク的な人工色は淡く、落着いた風情が漂う。一般受けはする町並である。
 




北斎館近くの通称栗の小径




 旧陣屋跡付近の路地

訪問日:2012.01.02 TOP 町並INDEX