大平の郷愁風景

長野県飯田市<宿場町(廃村)> 地図 
 
町並度 6 非俗化度 4 −深い山中に突如現れる保存集落−









 旧大平集落 保存された伝統建築が多く原型を留める 周囲の敷地の多くは野に帰している


 大平集落は飯田市の市街地から西へ山中に分け入った標高1150mほどのところにある。木曽山脈を横断する位置にある。
 東に1236mの飯田峠、西には1358mの大平峠という2つの嶮しい峠に挟まれた谷間にあり、現在は乗用車で通過することが容易にできるものの勾配曲折甚しい山道である。こんな山中に何故集落が立地しているのか。
 大平の地名は山間に似合わない大きな平地という意味で名付けられたというが、なるほど付近は細い谷間というよりも盆地というべき広がりを見せている。ここは古く木地師の住まう地であったらしいが、藩政時代に入って飯田城主が大坂加番を命じられた折に峠を越えて中山道沿いに出る短絡路を整備したことで発展を始めた。後に伊那谷南部から上方に通じる道として商人の利用も増えたほか、伊勢参りの庶民の通行も多く、険しい峠道のさ中にあるこの大平は宿場として旅人の疲れを癒すところとなった。大正時代、鉄道が開通以後も木曽谷と伊那谷を結ぶ重要路として、国鉄中央本線の三留野駅(現南木曽駅)から乗合バスが飯田とを結んでいた。当時としては最高所を通る定期路線であったという。
 木材の生産が盛んで、それを糧に行われた炭焼などで繁栄は戦前までは続いていた。しかし、高度成長期に入りまた自動車交通の台頭もあって、ついに昭和45年にはすべての住人が離村し廃村となってしまった。
 しかし40年を経た現在でも、宿場町時代を思わせるような伝統的建築が現存し、町並的な風景すら形成している。これは並々ならぬ努力の結晶として高く評価されている。
 ここで保存の経緯を詳述することは割愛するが、一時は別荘地として大規模な開発の話も浮上したことがあったという。それを押しとどめて自治体をはじめ日本ナショナルトラストなどの団体、学識者などが相次いで訪問調査し、現在でも多くの遺構が保たれていることはわが国でも唯一といってよい稀少な例だ。
 現在は昭和58年に制定された「大平憲章」に則って保存活用が行われ、旅籠・町家建築の一般利用も許可されている。それには大平の自然環境を破壊させないための厳しい基準があり、それは無住の集落の秩序を守る目的であるからこそだろう。
 古い町並というよりは廃村ではあるが、歴史と保存のいきさつは他に例を見ないものであり、訪ねる価値のあるところである。
 
 


訪問日:2011.07.18 TOP 町並INDEX