小田原の郷愁風景

神奈川県小田原市<城下町> 地図 
 
町並度 4 非俗化度 6
  -中世より関東の軍事的拠点として重要な役割を占めていた-





 小田原市は県西部の中心都市で、箱根の入口にも位置するなど観光の拠点ともなっている。
 駅の南東に小田原城の復元天守閣が見える。15世紀末期から北条氏が居を構え、ここを拠点に関東一円を支配していた。城下もこのときに既に整備されており、侍と商人は住み分けられた。城は総構えと呼ばれる延長10kmにも迫る土塁で囲まれていた。それは豊臣軍の来襲に備えてのもので、天正17(1589)年には関東各地を支配していた各城の軍勢が集結して決戦に備えていたという。
南町1丁目の町並




本町4丁目の町並 本町4丁目の町並 (小西薬局)




本町3丁目の町並 (蒲鉾の老舗籠清) 本町3丁目の町並

 
 翌18年の小田原合戦により落城し、以後は秀吉からもと北条氏の所領を与えられた徳川家康が関東を支配することとなり、小田原城は家康に従って小田原合戦に参戦した大久保氏が入り、幕末に至っている。
 関東でははっきりとした城郭と天守を持つ城は江戸城と小田原城のみであり、小田原城は西国につながるところに位置し、また箱根の関所にも近く、依然政治的軍事的に重要な役割を持っていた。広大な小田原城下には東海道の宿場も設置されており、本陣も置かれ大名の休泊地ともなった。箱根の嶮を控えていた事もあって賑わい、問屋場が設けられ、人馬の継立てが行われた。幕末刊行の『新編相模国風土記稿』によると、城下の領域19町で1300軒近い町家があったという。
 維新後しばらく衰退していたが、やがて東海道本線に接続して軽便鉄道、ついで国鉄熱海線(後の東海道本線)が開通すると、箱根・湯河原などの観光保養地を控え、気候風土の良さもあり多くの客を迎え入れた。以後、城下町から性格を変え再発展を遂げた。
 関東大震災により大きな被害を受けているため、それ以前に遡る伝統的な建物はほとんど残っていない。しかし現在でも老舗として営業している大柄な商家建築、洋風建築や看板建築、また所々に小柄な町家風建築も散見される。連続した箇所はなくその点は残念だが、旧市街の町域が広大な分、かなり広域にわたって古い建物が見られる。探訪には自転車が最適だろう。
 城の南側、国道1号沿いでもある本町から南町、そこから海岸に近い青物町付近にある程度まとまって古い建物が見られる。この付近は旧東海道筋に当たる。名産蒲鉾や海産物などの店舗として現在も現役の建物も多い。さらに北側の南北の街路沿いにも、料亭など老舗が周囲に圧倒的な存在感を示しているのを見ることができる。
 なお、市は市街地に残る地場産業や名産品を扱う店舗などを「街かど博物館」に指定している。それらを巡ることでおおよそ、伝統的建物を一通り巡ることができる。
 




本町2丁目のだるま料理店 栄町2丁目の町並(茶の老舗江島)

訪問日:2015.05.01 TOP 町並INDEX