板橋の郷愁風景

神奈川県小田原市<街道集落> 地図 
 
町並度 4 非俗化度 7 −小田原城・小田原宿を支えた東海道沿いの町−
 





板橋の町並 右下は代表的な商家・内野家


 小田原市板橋地区は市街地の南西部、早川の左岸に展開する。
 東海道に面し、江戸初期の元禄期から小田原宿の助郷を勤めていて、宿駅業務に携わっていた。寛文12(1672)年の村明細帳では101軒の家屋、過半数は百姓ではあったが名主2、茶屋11、石屋17、紺屋1なども記録されている。
 江戸時代には小田原城下の西の入口として板橋見附が置かれ、城下の防衛、また東海道沿いにあって西国からの旅客を迎え入れるところともなった。石屋が多かったのは城まわりの土木工事に備えてのことだったらしい。
 板橋宿と呼ばれる事もあるが、正式な宿駅ではなく実態は街道集落、在郷町であった。
 当時の板橋見附の位置から国道1号線の北側に旧東海道筋が残され、古い町並が展開していた。商家風の町家建築、土蔵を従えた建物、洋風の外観を持つ建物など、連続性は淡いものの周囲の近代的な町並とは雰囲気が異なり、歴史の古い集落であることは一見して明らかだ。
 中でも眼につくのが醤油醸造業を営んでいた内野家で、2階の立上がりが大きい堂々とした明治期らしい建てかたの母屋に土蔵を従えた姿はこの界隈のシンボルといえるだろう。日を定めて公開もされているようだ。
 その他にも、一部の店舗などは市が「街かど博物館」に指定し、意識されている様子がうかがえた。
 





訪問日:2015.05.01 TOP 町並INDEX