国府津の郷愁風景

神奈川県小田原市<街道集落・漁村> 地図 
 町並度 4 非俗化度 8  -東海道沿いの町 明治以降鉄道の要衝として発達-







国府津の町並 洋風看板建築がある程度まとまって残っている


 
国府津地区は小田原市域の東、相模湾に面しており、東海道本線と御殿場線の分岐駅があるところとしても知られている。古代、国府の外港があったことが地名の由来といわれる。
 小田原城下に近く以後も港が存在し同様の役割を帯びていたと考えられる。船持ちも多く、城内に漁獲品を納入する者もあったとの記録が残る。主に近海で鯛、鰹、鯵などの漁を行い、また地引網も盛んに行われていたという。
 一方、東海道本線の南側に東西にのびる国道1号線は東海道筋を踏襲したもので、街村が形成されていた。宿場町でもあった小田原の助郷
(大通行時等に宿駅業務の補佐役に定められていた村)に指定されていた。またここから脇往還が2本派生していたことから、街道の要衝地として発達していた。
 明治になり交通網が徐々に整備されていく過程で、明治20年新橋からの鉄道がここまで延伸された。その後数年で東海道本線として神戸まで全通するが、当時ここから沼津までのルートは現在の御殿場線での山越え区間となっていた。機関車を増補する必要などから国府津には機関庫が設置され、また熱海線の分岐駅ともなったため鉄道の町として発達した。昭和9年に伊豆半島の基部を貫く丹那トンネルが開通するまでこの町の隆盛期といってよいだろう。
 幹線国道の国道1号線ではあるが、駅前付近から西側を中心に古い町並が残っている。関東風の出桁造りの町家風建築も散見される中、特徴的なのは二階部分に胸壁を立上げた外観を示す「看板建築」が多く見られることだ。この付近は関東大震災の震源に近く、大きな被害を受けたため、復興の形として建てられたものと思われる。
 看板建築は関東を中心に各地で見られるもので、最近注目されるようになってきている。もっとも知られているのが茨城県石岡市の町並だが、ここも質量ではやや規模は小さいがある程度固まって残っている点で貴重なものである。少し前の情報からして取壊されているものもあるようだが、まだ保存に向けて動いても遅くないレベルである。
 
 
 
 








訪問日:2015.05.01 TOP 町並INDEX