黄金山麓の郷愁風景 

広島市南区<漁村> 地図
 
町並度 3 非俗化度 8 −陸に封じ込められた漁師町の痕跡−

仁保の町並。山裾に沿い細長く続く道はかつての漁村を思わせる風景が残っています。




 仁保の町並 本浦町の町並


 広島市の三角洲地帯は原爆で全て町が焼き払われた印象があるが、何箇所かの例外がある。その一つが南東部にある黄金山周辺の町並だ。
 ここはかつて仁保島という湾に浮ぶ島であった。陸続きになってからも東岸・南岸は海岸が残され、東から時計回りに本浦・仁保・日宇那・丹那などの漁村が点在するところであった。それらでは海苔・牡蠣の養殖や小規模な漁業が行われ、経済的にも自立していたらしい。牡蠣の養殖には種苗地や「ひび」立て場
(牡蠣の種苗を植えつけて生育させる木杭)のために広い干潟を必要としたが、沿岸は充分それに恵まれており、長閑な風景が広がっていたという。
 昭和30年代に入ると東洋工業(現マツダ)の仁保工場が日宇那町、丹那町などの沖に進出してきて、埋立地となり養殖場は根こそぎ失われた。また、幹線国道が北麓をかすめるように建設され、その沿道から宅地化の波が麓を通り越して斜面を駆け上がっていった。以前の漁村はそれらに飲み込まれ今に至っている。
 元々が小さな漁村であることもあって、古い町並としては残っていないが、それらの麓の町を歩くと、周囲の町とは異なった古い匂いを感じるものである。仁保地区を中心に土蔵が比較的良く残っており、それらの多くは海苔蔵であったと聞く。海岸に忠実に続いていた当時の生活道路は、いまでもほぼ分断することなく辿ることができ、斜面に向って細い路地が派生し入組んでいる様子や、道標なども残りわずかながらも往時の趣を感じることができる。
 特に日宇那町では当時の海岸線を示す石垣がそのまま残っており、大きな寺もあり一つの自治体をなしていたことが伺える。木造の古い旅館の見られる一角を歩くと、陸封されながらも潮の匂いが漂うような風情を感じる。

 

 山の南麓、日宇那町では漁師町的な迷路状の路地が見られます。 日宇那町の町筋


訪問日:2002.10.06 TOP 町並INDEX