追分・小田井宿の街道風景

長野県軽井沢町・御代田町<宿場町> 地図(追分) 地図(小田井)
 
町並度 5 非俗化度 6 −浅間山を仰ぎ見る宿駅群−




追分の町並 追分宿の西に残る北国街道との分岐「分去れの碑」


 中山道は関東平野を抜けると難所碓氷峠を越え信濃路へと入る。殊に上州側からは険しい峠道で、碓氷には木曽福島とともに関所が置かれ、東海道の箱根・新居と並んで四大関所と呼ばれ旅人に対して厳しい改めが行われていた。
 信濃路に入った中山道は「浅間根越の三宿」と呼ばれる宿場群を通過する。軽井沢宿・沓掛宿・追分宿がそれで、北に浅間山の優麗な姿を仰ぎながらの道中となる。軽井沢は周知の通り明治以降別荘地として抜本的な開発を受け、旧道の面影はほとんど残していない。しかし北国街道と中山道との接点である追分は無視できないとして、中山道信濃路の町並は旧追分宿から探訪を開始することとした。
 この宿も町並としてはほとんど歯抜けの状態となっている。落葉松(カラマツ)林の中の高原らしい佇まいで標高は約1000mの地である。かつて本陣1・脇本陣3を備え、三十余軒の旅籠屋は飯盛女を抱えたいそうな繁盛だったそうだ。下仁田道や大笹道などの街道が交わるところとして中馬稼ぎも盛んであった。そして名の通り、ここから越後方面に向う北国街道が分岐し、今でも国道との合流点にそれは残り、石碑が保存されていた。
 一方、小田井宿は追分から南西に約5kmほど坂を下った位置にある宿駅であった。旅籠は5軒しかなかった中山道では小さな宿であったが、街路は現在でも充分車のすれ違いができるほど広いもので、本宿として位置づけられていた。この宿が別名姫の宿と呼ばれていたのは、宮家の姫君や大名の奥方、商家の娘などがよく利用したからだという。追分宿が街道の要衝ということで物騒なところでもあり、また飯盛女などの存在から女人を泊らせるに好ましくないと思われていたこともあったのだろう。
 小田井の町は出桁造りの町家、本陣の門構えなどが残り古い町並らしい風情が比較的よく残っている。街道の南側に残る側溝も幅が広く、宿場の頃は水路だったのだろう。雪を冠した浅間山の姿が望まれ、爽やかな開放感のある家並であった。




小田井の町並(旧本陣跡) 小田井の町並




小田井の町並 小田井の町並


訪問日:2006.04.08・09 TOP 町並INDEX