長崎県小値賀町【港町・漁村】 地図 町並度 7 非俗化度 7 −五島列島北部の中心として捕鯨をはじめ各種産業・物流が発達した− |
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小値賀笛吹地区の町並 左は小田家(現民俗資料館)前の風景でこの坂道下は古くは船着場だったという | |
小値賀島は佐世保市の西約70kmほどの位置、五島列島の北部を占め16諸島で構成されている。北松浦郡に属しており平戸藩領であったことから、県内では平戸諸島の一部として認識されている。 松浦氏が周辺一帯を支配していた中世を経て、江戸期に入ると平戸松浦氏のもと平戸藩が成立、小値賀には代官所が置かれ五島内の藩域を統括していた。 列島北部にあり野崎島、中通島をはじめ中小の島が点在する島の南側海域は比較的穏やかで、列島北部の中心として発展した。その根幹だったのが捕鯨で、江戸初期の寛永期には捕鯨団が組織され操業を開始している。数多くの鯨組が結成され、海外貿易が閉ざされた時代の中では藩内最大の財源となった。 島外各地からの客船の発着する小値賀港背後に展開する笛吹地区。島内の集落は町・浦およびその他の農村を示す在の三つに分けられるが、当地区は最も大きな町であり、また浦の機能も併せ持っていた。南北の二車線道路以外はほぼ小路や路地で占められており、伝統的な木造建築が連なる箇所も多い。一帯は「小値賀諸島の文化的景観」の一部として、国の重要文化的景観に選定されている。町教育委発行の資料によると、「日本西海域の島嶼群に見られるヒト・モノの流通往来により形成された文化的景観」ということだが、まさに産業や海運の発達の結果がこの町並景観ということなのである。 路地の狭間に歴史民俗資料館がある。捕鯨や廻船業、新田開発など様々な事業を手掛けた小田家の建物を利用しており、主屋と土蔵などはそのまま保存されている。資料館の人によると、島の人口は戦後すぐの時期にピークを迎え、以後は減少の一途で最盛期の3割弱に減ってしまったというが、家並には繁栄の証が遺憾なく残されている。とりわけ、資料館の南側付近には細い路地を挟んで木造三階建が折り重なるように建て込む一角があり、漆喰壁に屋号が記された建物もある。もしかすると遊興の色を帯びていた界隈なのかと想像した。 それが各家の繁栄を示す尺度ともされたのだろうか、大きな持送りを軒下に持つ家々が目立つ。また集落の東側を中心に、見事な石垣が多く見られ、家々の塀にも多用されている風景があった。ただし空き家となっている建物も少なくないようで、その点が気がかりである。 |
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三階建木造建築が密集する一角 | |
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メイン街路の商店街 |
訪問日:2024.10.26・27 | TOP | 町並INDEX |
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