岡山市街は戦時に空襲の被害に遭っており城下町時代を感じさせる町並はほとんど残っていない。しかし焼残った地区というのは必ずあるもので、ここでは散在して残るそれらの風景をまとめて紹介したい。 | |
出石町一丁目の町並 |
岡山城は16世紀末、宇喜多直家が築城したとされ、その後関ヶ原の役を経て、慶長期に池田氏が入城後維新まで池田家による岡山城が続いた。 城下町は18世紀前半までには確立されている。それは武家街を整備し、周囲の村から豪商も転居させるなど本格的な都市計画で、それまで備前における商業の中心であった吉井川東岸の福岡からその座を奪っている。 旭川にせり出した旧城地の近辺には、川沿いの地域を中心に所々に古い面影が残っていた。その中で北側の出石町界隈は比較的伝統的町家の密度が高く、古い町並というほど連続した風景はないものの都市部にあって貴重な区域といえよう。平入り切妻で二階部正面に虫籠窓をつけた姿は、古い町並を構成する町家の構えそのものだ。この付近は旭川の自然堤防上に発達した古い街区らしく、堤内側へ下る古びた石段など趣ある風景が随所に見られる。 一方で、南側の京橋界隈から旭川の中洲である西中島・東中島町、そしてかつて川を渡った辺りで北上していた旧山陽道沿いにも、僅かながら伝統的な町並風景が残る。このうち西中島町はもと遊里・歓楽街であった雰囲気がどことなく残っており、飲食店の佇まいや路地風景が都心近くにいることを忘れさせてくれる。 古い町並として連続した箇所はほとんどないが、それでも城下の面影、そして戦前の繁華街の残像は探せばあちこちに残る。それらの魅力を見出し保っていく価値はまだ残されている筈である。 |
森下町(旧山陽道沿い)の町並 | 西中島町の町並 |
南方二丁目の町並 | 兵団の町並 |
出石町二丁目の町並 | 番町二丁目の町並 |
訪問日:2008.04.20 | TOP | 町並INDEX |
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