大隈の郷愁風景

福岡県嘉穂町【在郷町】 地図 <嘉麻市>
 
町並度 5 非俗化度 10 −水陸の結節点として栄えた町−




 この大隈付近はかつての筑豊炭田地区の最南部にあたり、旧国鉄漆生線が通っていたところである。最盛期にはこの地区に網の目のように鉄道が張り巡らされていたがほとんどが廃線となり、一部が民鉄に移管されたほかは、筑豊本線と日田彦山線、後藤寺線だけとなってしまった。
大隈の町並







 大隈は鉱山よりもはるかに古く重い歴史を持っている町だ。筑前国嘉麻郡に属していた当地は、驚くべきことに遠賀川河口の芦屋から舟が遡上しており、ここまで舟運があったのだそうだ。丘陵地帯に囲まれていることもあり、それが俄かには信じられないようなところである。
 しかるにこの町の繁栄は実際遠賀川なくしてはなかったといえる。これより奥地の山間部の物資はここに集結され、水運に切り替わる拠点となっていたからだ。当然のことながら商業が立地し、在郷町としての賑わいを呈していた。
 またこの大隈には南に峠を介して城下町秋月を控え、藩主の参勤交代の折には必ずここを通ったという。秋月街道と呼ばれたこの街道をはじめ、日田と飯塚とを結ぶ街道との交点にもあり、宿駅的機能も持ち合わせた。さらに豊前との国境にも面していたことから関所も設けられており、政治経済そして交通の要衝として今とは比較にならない高い枢要度があったのだろう。
 町並は国道211号線に沿い展開し、妻入りの町家風建築を中心としたやや古い建物が連続していた。明治後期から昭和初期にかけてのものと思われ、それはここに鉄道が伸び、炭鉱で賑った頃と一致する。しかしながらここには川港町、宿場町としての素地が既に築かれていたのだから、それは町の賑わいを増す触媒にすぎなかったことだろう。実際近隣の炭鉱は小規模なものが中心であったため町の経済も鉱業に頼ったものではなかったようだ。
 国道から分岐する枝道には黒漆喰に塗り回された主屋を持つ酒造家もあり、周囲は古い町並として見応えのする風景が展開していた。奥筑豊とでもいうべき土地に意外な町並を見た思いがした。





訪問日:2008.08.16 TOP 町並INDEX