青梅線の終着駅である奥多摩駅は都心から1時間余の距離にあり、車両も都市域と同様の新型であるが、周囲の環境は全くの山峡であり大都市郊外地区とは思えないところだ。
ここで紹介する駅周辺の氷川地区は多摩川の本流に北から日原川が合流する地点でわずかではあるが平坦地があり、また流れに従って青梅街道と日原街道が落合うところでもある。青梅街道は甲州裏街道とも呼ばれ、甲州との交易も盛んに行われていた。甲州街道の内藤新宿から分岐すると中野、田無、小川、箱根ヶ崎、青梅の各宿駅があり、この氷川に達していた。その後急峻な山地を経て甲府盆地に下り、酒折で再び甲州街道に合流するものだが、この氷川を含め多くが幕府領であったため関所が設置されることもなく、庶民の通行も多かったのだという。関東や甲州から絶大な信仰を得た御岳山もこの沿道沿いにある。
明治以降青梅街道の整備により経済路線的役割も強まり、かつてより名産であった木材とともに商家も立地したが、豪商宅が建ち並ぶというまでにはならなかったようだ。現在青梅街道沿いに数棟厳かな邸宅が見られるが、大半は小規模な商家あるいは農家集落であっただろうと思われる家々である。ただ、宿場町であったことから旅籠・旅館業を営んでいた旧家もあったのだろう。
一方、枝道であった旧日原街道は車の離合がやっとといった道幅であり、恐らく往時のままなのだろう。こちらには伝統的な建物が比較的残っていて、二階部に木製の欄干のある建物もあり、また土蔵の残る旧家もあった。
この日原街道の東側は日原川の谷が険しく落込んでおり、険しい山間地形のもとにあった。 |
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