大湫・細久手の街道風景

岐阜県瑞浪市【宿場町】 地図(大湫)地図(細久手)
 
町並度 5 非俗化度 6 −忘れ去られたように残る山間の宿場町−
 

   
大湫の町並
 
 
 
ここで取上げるのは旧中山道の二つの宿場町であるが、いずれもその面影を淡くしており増して往時の旅人の行き来が盛んであった頃の面影は偲びにくい状況となっていた。
 この区間の中山道は山間部を辿り、小さな峠も連続する難所でもあった。「くて(久手・湫)」とは土地の低い所や湿地を指し、東海地方に良く見られる地名である。山又山の道中で比較的平坦、または僅かな低地で水の得やすい土地を選んで宿場町が発達していたことが想像できる。
 大湫宿は東に大井宿、細久手宿は西に御嵩宿を控えていた。細久手宿は御嵩宿との間隔が四里半(約18km)と長く、道中も山間の嶮路であったことから尾張藩により17世紀になってから設置されたものである。
 古い町並としては大湫宿の方が良く残り、格式を感じされる間口の広い町家や、土蔵を従えた邸宅をはじめ、脇本陣を勤めていた保々家が往時のまま姿を留めている。庄屋をも兼務した名家であり、内部は現在も民家として使用中であるため見学はできないが門前に平面図を添えた説明書が掲示されている。
 細久手宿は過疎の波がじかに押寄せたようなところで、かつては坂道に沿い家屋が密集し、本陣や脇本陣もある本格的な宿場として位置づけられていたのだろうが、今では散在する家々にその影すら感じ取れない。空地となって久しく草叢となっている場所も目立つ。その中で孤軍奮闘ともいえるのが尾張藩の指定宿であった旅籠屋・大黒屋で、奇跡的にも現在に至るまで営業を続けておられる。本うだつを両妻部に立上げ、改装もせず往時の姿を留めているのは貴重である。しかし周囲の寂れたさまからは、逆に少々違和感すら感じる状況ともなっていた。
 この区間の中山道は多くが現代の道路として受継がれているものの、現況道路としては付近の集落の人々が使うのみであり、全く現代の交通網からは外れてしまい寂れ果てている。その中で大黒屋は中山道を辿る中高年を中心とした探訪客により、辛うじて営業が維持されているのだろう。

 
 




大湫の町並




細久手の町並 細久手の町並(旧旅籠大黒屋)

訪問日:2009.07.20 TOP 町並INDEX