青梅の郷愁風景

東京都青梅市【宿場町・陣屋町】 地図
 
町並度  5 非俗化度 4  −青梅街道沿いに残る商家群−

旧青梅街道沿いの町並


 青梅市は東京都心から快速列車で1時間余りのところにあり、都市域の西端部を占め山峡の迫るところにある。いわゆる渓口集落に由来する。渓口集落は一般に山間部の物資の集散に便利であることから自然発生的に発達することが多いが、青梅には青梅街道の宿駅としての役割が付加されにぎわったところである。
 徳川家康の関東入りに伴い八王子に代官所が置かれ、青梅には出先機関として陣屋が置かれた。支配地は北武蔵の広範囲に及び現在の埼玉県域も含まれていた。武蔵野扇状地の扇頂に位置しているという地形的な特徴もあって、付近一帯を統治する政治都市としての側面もあったようだ。
 青梅街道は甲州裏街道とも呼ばれ、甲州街道より北側を迂回し大菩薩峠を経て甲州に入る街道であった。陣屋が置かれたことにより街道の要地として宿場町が形成され、年貢米の江戸への輸送などに多用された。また御岳山参詣者の登山基地としても宿泊客の利用が多かったという。
 産業も発達し、石灰・織物・木材の3業種が基幹業であった。殊に石灰は江戸城築造時に利用され、その他大坂城や名古屋城の普請など多くの重要建築に用いられた。また江戸の頃は多摩川が水運として使われていたこともあり、木材をはじめとした物資は川を下って江戸に供給されていたという。 
 











稲葉家住宅(公開)
 青梅の町を歩くと東京都市圏の拡大に伴って後発的に発達した都市ではないことがよくわかる。この地方らしい切妻平入りの出桁建築が多く見られる。一部の商店はレトロ博物館などと銘打って訪問者を迎合する施設として公開されている。やや過度な演出のようにも感じられるが素材としてはしっかりしているため見世物のようには感じられない。市街地の西端近くには材木商や織物商など地場産業で財力を築いた商家である稲葉家住宅が公開され、都の文化財に指定されている。
 郊外地の拡大の渦中にあって町家系の伝統的な町並が残存しているのは価値の高いものである。ただ客寄せに走らないことを願いたいものだ。

訪問日:2012.05.26 TOP 町並INDEX