麻績の郷愁風景

長野県麻績村<宿場町> 地図 
 
町並度 5 非俗化度 8  −善光寺街道 山間の宿駅−


 



大柄な商家建築の残る麻績の町並




 麻績(おみ)村は長野盆地と松本盆地を隔てる高原地帯の小盆地内にあり、篠ノ井線や長野自動車道が通り幹線交通に恵まれているが、静かな農山村といったイメージである。






 


 

 
 幹線交通の道筋であったことに関しては非常に古い歴史があり、律令制下の官道が敷かれ、麻績駅が設けられていたという。村域の北方には永正年間(16世紀前半)に麻績城が築造され、ここを通る新たな道が開かれた。後にこれが善光寺街道となるものである。この街道は文字通り善光寺参りの旅客に多用されたからこの名があるわけだが、それとともに大名や役人の通行もあり、幹線街道と同様に本陣も設置されていた。北国西街道と呼ばれていたことからもその重要性がわかる。
 一般の旅人は旅籠や木賃宿に宿泊し、安政期頃の記録では宿泊施設の数29に及び、これは脇街道としては多い方であろう。また問屋も2軒あり、上問屋・下問屋として月の前後半での交代制で人馬の配置などを司っていたという。また麻績宿では旅人の厳しい取立ても行われていて、「入鉄砲と出女」には特に警戒を払っていた。これは幹線街道の関所などで行われていた改めと同様であった。出女とは幕府の要人の妻や娘のことを指し、彼女らに託してスパイ行為紛いのことを謀られるのを恐れていたのである。
 篠ノ井線の聖高原駅が町並の玄関口であるが、ここはもと麻績駅といった。そこから北に緩やかな坂道を上ると一見してそれと判る旧道沿いに出る。残っている伝統的な建物は商家建築的な間口の広い堂々たるもので、ある意味旧宿場町らしくない町並である。
 都市部から大きく離れ、しかし幹線鉄道沿いにあることにより極端な過疎化に晒されなかったことが、良質な商家の建物がある程度まとまった形で残す結果になったのだろう。善光寺街道は物資流通の要路でもあり、宿駅機能亡き後に発達した商家群により形成されている町並であると思われる。
 所々に旧麻績宿を紹介する案内板も設置されており、地元では意識されているようだ。但しそれは旧家や町並の保存と直結することが保障されるものではない。案内板だけが当時を偲ぶものになることだけは避けたいところだ。
 
 
 


訪問日:2012.01.03 TOP 町並INDEX