宮浦の郷愁風景

愛媛県大三島町【門前町・港町】 地図 <今治市>
 町並度 4 非俗化度 6 −大山祇神社の表玄関港として門前街が発達した−
 




 大三島は本州四国と架橋により陸続きとなり、島内の代表的な観光地である国の総鎮守・大山祇神社には団体客や自家用車の客など多くの来訪者を迎えている。また橋伝いにサイクリングをする人も多く、自転車での訪問客も多い。
 大山祇神社は島の西側、天然の良港の宮浦港の奥に鎮座している。中世頃には神社付近まで入江が湾入していたようで、港とも近い距離にあったとされるが、今では海岸線からは約1kmほど内陸に位置している。神社は瀬戸内一帯で活躍していた水軍によりその存在価値が高まり、武門の神ともされていたため、鎧など数多くの武具の所蔵があり、国宝に指定されているものも多い。全国に1万を超える分社が存在するという。 
 江戸時代に入ると、松山藩主の参勤交代の折には必ず大山祇神社を参拝する決まりになっており、そのための水主30人も定められていたという。
 また藩はそれに伴い門前街を抜本的に整備した。神社付近を流れる河川の流路を変え、港から一直線の街路を整備するという一大土木工事で、安永4(1775)年に完成した。門前町は飲食店や宿屋などが建ち並び、大いに賑わった。大三島市と呼ばれる定期市が開かれ、特に春に開催されるものは年代によってはひと月にも及んだ。歌舞伎芝居、将棋・双六、富くじなども開催され他藩領からも多くの参拝客・見物客が押し寄せた。
 


宮浦の町並 上は港側からの門前街入口






 バスなども通る鳥居前の道路の一本北側に門前街が残る。かつて商店だったらしい1階部分が開放的な構造となっている平入りの建物、洋風の外観をした百貨店の建物などが見られるが、いずれも営業されていなかった。神社付近は橋を使って訪ねた多くの人や車で賑やかだが、この通りに入った途端に外来客の姿が途絶える。かつては船が着くたびにこの界隈は参詣客であふれていたのだろうが、そのような風情は微塵も感じることはできない。
 しかし、家並そのものからは依然風情を感じることは可能で、一部には古い建物の連続性が高い箇所も残されている。
 ここが今でも門前街として現在のように多くの観光客のある状態なら、もしかすると古い町並としての体裁は失われていたのかもしれない。観光客の訪れが消えてしまったことで、逆に寂れた古い町並として息づいているのは誠に皮肉なものである。
  





訪問日:2003.02.20
2017.02.12再取材
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