近江高島の郷愁風景

滋賀県高島町【城下町】地図  <高島市>
 
 
町並度 5 非俗化度 5
 −湖西の城下町−

近江高島の町並 右は旧陣屋の惣門





 

 高島は湖西地区の代表的な町の一つで、湖西線により京阪地区との時間距離も短い位置にあるが、町の姿は大都市郊外らしいものではなく歴史を感じさせるたたずまいであった。
 江戸時代ここには大溝藩が蟠踞していた。中世末期の天正期に城地が整えられた大溝城は元和5(1619)年に分部氏が伊勢国上野(河芸)より入城、2万石を与えられて大名となり付近を支配することとなった。高島郡のほか湖を挟んだ野洲郡にも支配地は及び、各所に代官を配置して統治を行っていたという。城は荒廃していたとのことで、その西に接する土地に陣屋を構え、武家屋敷を配置した。
 西近江路が付近を縦断していたこともあって城下町は発達し、武家屋敷のほか商家が建ちならぶ姿が早期から出現していた。琵琶湖の水運においても重要な位置にあり、物資の往き来が多く奥羽地方までその取引先を持っていた商人もあったといわれる。後背地に稲作地帯を抱え、米は良く収穫されたが大きな産業もなく、藩の収入自体はなかなか上向かなかった。
 明治以降も湖西地区には鉄道が長らく敷設されなかったため、依然として琵琶湖の水運が物流に相当なシェアーを占め、湖西一の港町としても発展を見た。
 この町特有の風景といえるのが水路に沿い家並が連なる姿だ。幅1mほどの極めて細い水の流れではあるが、石垣に囲われ人工の色を感じる。これも城下町建設と同時に行われた事業で、武家屋敷地区などの城地と町人町が画然と区別されていたのだそうだ。政策的な構築物であったものが、今では風情を感じるものとなっている。それにしても何百年前のこうした遺構が残っていること自体貴重なものである。一角には陣屋の惣門が原型を留め、付近には密度濃いものではないが古い町並も残っている。
 また幹線道路沿いには大柄な商家の遺構が幾つか残っており、高島町はこれらを訪問者向けに改修の上開放し、「ビレッジ」として取組んでいる。地味ではあるが認知はされているようで、今後も素材を活かしながら継続されることを期待したい。

 
 


 






街路の中心に残る水路は城下町時代の遺構である


訪問日:2009.08.14 TOP 町並INDEX