小名浜の郷愁風景

福島県いわき市<港町> 地図
 町並度 4 非俗化度 8  −江戸初期から発展を続けた港湾都市−
 
 



 
 



 
小名浜古湊の町並 うだつを備えた家々が見られる 


  小名浜は米野・中島・中町・西町の4ヶ村の総称で、江戸の初期には既に磐前郡の中で四倉と並ぶ賑わいを見せていた。現在もいわき市の主要な市街地の一つであり、港湾・工業地帯となっている。
 寛文期(17世紀後半)に東廻り航路が開発されると小名浜は重要な港として位置づけられ、船舶の出入りが急増した。『磐城風土記』では当時の様子を「漁舟百艘及び積穀百石許り、廻船十艘、浜の塩竃十区、(中略)五月から九月に至るまでは鰹漁を釣り漁船聚って其数を知らず」と記録されている。
 幕末頃の戸数は千余軒を有し、平城下に匹敵する規模を誇っていた。
 この頃から明治にかけて、小名浜港は常磐炭鉱の移出で賑わった。明治20年には常磐炭田・小野田坑より軽便鉄道が敷設され、石炭のほか雑貨なども移出され、港町として発展した。同22年に町制施行し小名浜町となる。30年に国鉄常磐線が開通すると輸送は陸路に転換したが、以後は漁業基地として発展を続けた。大正時代には東京・塩釜間の避難港として港が大規模に修築され、昭和2年には重要港湾に指定された。その後小名浜臨港鉄道の敷設とともに工場が誘致されると、工業都市としての発達も見た。
 市街域の多くは現代的な町の佇まいとなっている中で、東部の川向、その名も古湊と呼ばれる辺りは小名浜港発祥の地で、周辺には陣屋敷、下町といった地名も見られる。比較的整然とした町割であるが、商家を思わせる二階屋が随所に見られる。連続した個所がなく単独に残っているのみなのがやや物足りないが、それらには妻部にうだつが備えられ、二層になった見応えのある形のものも目立つ。また土蔵を従えた姿もあった。港の賑わいを基盤に裕福な家々が多かっただろうことを思わせる。
 川沿いには料理旅館の看板のある豪壮な建物が見られた。また川西の一帯は繁華街となっており、そこにも一部伝統的な建物が残っていた。
 
 



 
 小名浜古湊の町並 小名浜中坪の町並 
   


訪問日:2023.04.02 TOP 町並INDEX