音戸の郷愁風景

広島県音戸町<港町・漁村> 地図 <呉市>
 町並度 5 非俗化度 8 −音戸の瀬戸に面する歴史の古い港町−


ここ音戸町は平清盛伝説の残る所で、町の海岸部には清盛塚もある。現在朱色のアーチ橋のかかる音戸の瀬戸は清盛が開削したとも言われ、その根拠は定かではないがこの頃に宮島への参詣航路が整備されていることから、何らかの形で携わったものとも思われる。架橋されて久しいが、この狭い海峡にはまだ渡し舟があり、地元住民の貴重な足となっている。しかし北側をバイパスの新橋が建設中で、存続が危ぶまれるところである。
引地の町並




引地の町並 狭い路地に港町を思わせる商家建築が連続する 北隠渡の町並




鰯浜の町並




鰯浜の町並 北隠渡の町並


※★:2004年7月撮影 後半3枚:2008年12月撮影 その他:2005年6月撮影


 中世では海上の公路として古くから栄え、島を短絡して結ぶ沖乗り航路の開発される前、島伝いに沿岸部を結ぶ地乗り航路の拠点であった。近海漁業は古くから盛んだったが、周辺の諸村から鰯の余った分が干鰯等にしてここに搬入され、加工漁業の町ともなった。干鰯の量は中世末期には年間数万俵にも達していた。これは現在でも続けられ、堤防上に広げて煮干を作る風景がよく見られる。また港として諸国の商人が集まり、取引をするものも多く現れた。
 明治以降は軍都呉に接していることもあって漁業は衰退したが、銀行の本店が置かれたり、かつてから盛んだった木綿織、その技術を活かし漁網商(製網会社)も立地したりして中心的役割は長らく衰えることはなかった。
 市街地は音戸大橋のたもと、渡しの船着場付近より南側に細長く展開している。北より引地、鰯浜、北隠渡、南隠渡と続く。海岸沿いに二車線の車道が倉橋方面とを結んでいて、その一本山手に古くからの街路が通じている。海岸の地形のままにカーブし、また屈折する路地、潮風に晒されたような木造建築がつらなる風景は漁村らしい風情がある。
 港町時代の栄華が感じられるのが橋に近い引地地区で、今でも漆喰の塗屋造りの重々しい建物が数棟残っている。呉服店との看板があるが現在は営業しておらず、人の往来もない一角である。また鰯浜地区には魚網会社が狭い路地に存在感たっぷりの洋館風の構えを見せており、現在も営業を続けている。そこから南側の一帯もいかにも漁師町らしい体臭が匂ってくるような小路が続く。




引地の町並 旧銀行の洋風建築



造り酒屋の横路地(南隠渡地区)


訪問日:2000.02
(以降多数再取材)
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