小野宿の街道風景

長野県辰野町<宿場町> 地図 
 
町並度 6 非俗化度 6 −本棟造りの旧家が残る厳かな町並−


   辰野町小野は、諏訪湖に源を発する天竜川の支流・小野川に面し、水域は太平洋側の領域である。塩尻とは善知鳥峠を接して別水系となる。詳しくは地形図を見ていただく他ないのだが、政治そして交通の面でも激しい変遷を経てきた。
 小野川流域はかつて一つの自治体をなしていたが、天正19(1591)年に松本城主と飯田城主の間の境界争いに捲き込まれている。そしてこの時伊那郡小野村と筑摩郡上小野村に分断されてしまった。現在でも小野地区の内古い町並の残る南部は上伊那郡辰野町であるが、すぐ北は塩尻市に接している。
小野宿の小野家住宅
 


 



 国道で潰されずにこのような本棟造りが多く残っていたなら、さぞかし見応えのある町並景観が残ったことでしょう。




 

 
 当初は中山道がこの地を通り、また飯田に達する伊那街道との分岐点にもなっていたため大規模な宿場が成立し、小野宿はその当時に体制を整えたといわれている。その後塩尻峠を越える経路に中山道が変更されると、町を縦断する街路は伊那街道(または三州
(三河のこと)街道)に変じた。重要な街道から格下げされたわけで、江戸初期には最盛期を過ぎ、その後は地方街道の小宿として幕末を迎えることとなった。
 しかし従来の木曾桜沢(贄川宿と本山宿の間)から牛首峠を越える道は、西国から諏訪地方への近道としてその後も利用され、高遠藩領内の年貢米の輸送路ともなっていたため、落ちぶれたとはいえ重要な役割を担い続けていた。
 この小野宿の界隈は現在国道153号線が踏襲し、往時の家屋は多くが取払われて町並としての連続性は淡くなっている。しかしその残った家々はいずれも迫力があり、旧家の見本市的な優れた外観を誇っている。
 地名そのままの小野家住宅は代々小野宿の問屋を務めた名主宅で、現在残る家屋は安政6(1859)建築。小野宿には本陣はなかったため当家が事実上本陣役を務めていたという。非常に緩い傾斜の屋根を妻入りに構えた本棟造りで、街路に面したその妻部は真壁造りという、桁が表面に見える造りにしているのが興味深い。屋根の頂点には烏脅しという独特の飾りが付き、その直下の屋根の下には豪華な彫刻で作られた懸魚(けぎょ)が付く。街路進行方向から見ると2階部が少し前に傾斜しているようで威圧感すら感じられる。屋根の勾配が極めて緩いため間口は非常に広く、圧倒的な存在感だ。
 ここにはこうした本棟造りの大型旧家が三軒見られ、軒を接した連続性の高い町並とは異なった、一軒単位で珠玉の価値のある建物が残っている。
 近代には中央本線がここを経由していたのに、塩嶺トンネルの開通に伴ってローカル線への格下げを余儀なくされている。今ここを通ると何故このような迫力の旧家が残っているか不思議に思われるだろう。歴史の証としてせめてこの三軒の本棟造りの家屋だけは、保存活動を続けられて残されることを願いたい。



本棟造りの真骨頂、烏脅しと懸魚

訪問日:2004.05.30 TOP 町並INDEX