刈屋・木戸の郷愁風景

山口県小野田市<漁村> 地図
 町並度 6 非俗化度 10 −対岸の工業地帯とは対蹠的な石垣漁村集落−







刈屋地区の町並。石垣で斜面克服されており、石垣の中を倉庫として利用(中央の画像)するなど少ない土地を実に有効的に利用している。






 瀬戸内海沿岸は現在では工業地帯化が著しく、多くではコンクリート護岸に被われ自然のままの海岸線を見せる箇所は少ない。一部では遠浅の海岸を埋立て、または半島状の山を削ってそれらは造成され、そのため古くからある漁村が内陸に押しやられた例も多い。
 ここで紹介する刈屋・木戸の二つの集落はその典型的な例である。
この幅の道が集落の主要街路であった。
 

 
 これらの集落は市街地の南にある竜王山の北西麓に開かれた漁村が本来の姿で、当初は島か、砂洲で陸続きとなった半島だったのだろう。それはこの二つの集落を歩いてみるとよく理解できる。家々は山裾の斜面に沿って建てられ、街路は等高線に沿い曲折を繰返しながら続いている。街路の両側ではかなりの段差があり、海側は目線の位置が屋根で、一方山側は石垣を積んだ上に建てられ、独特の町並景観を残していた。
 その姿は特に西側の刈屋集落でよく見られ、よほど建築スペースに苦労したのだろう、家々を支える石垣の土堤の中にも収納庫を設けている姿をよく見かけた。メインの路地とそこから海岸に下りる数本の道筋で構成され、もちろん軽乗用車の進入も許さない。石垣も単に石を積上げただけのものから、漆喰などで練積にしたもの、近年の土木技術で規格化されたブロックを積んだものなどさまざまで、現代の住宅街などで幅を利かせるコンクリート擁壁などは全く見られない。一部には煉瓦塀も見られ、それと石垣との組合せはどことなく南国の雰囲気を漂わせているようでもあった。
 刈屋・木戸地区は江戸初期から漁業が盛んで、「地下上申」によれば両浦で漁船62隻を有し、幕末には廻船も所有していたという記録もある。
 
 
木戸地区では斜面下のわずかな平地にも線的に家並が連なっている。
 刈屋の東側に隣接する木戸地区はかつては城戸と記されており、石垣の連続する集落風景は少なくなるが、山裾にわずかな平地が得られたのだろう、麓に沿って緩やかにカーブする家並も見られ、やや大きな木造の家々が連なっている。また塩田も存在していたようで、「塩製秘録」に塩浜として「城戸三軒」の記載もある。
 いずれの集落も海岸部が埋立てられ、海面は遠ざかっている上、眼前には重工業地帯の風景が広がっており、石垣集落との取合せが滑稽にも感じられた。しかし漁村集落としての機能はかなり薄らいだとはいえ、当時の集落風景が残されていることには変わりない。もっと注目されても良いはずだ。
 
木戸地区の町並


訪問日:2005.08.13 TOP 町並INDEX