久保の郷愁風景

広島県尾道市<港町・商業町> 地図
 町並度 4 非俗化度 6 −港と街道が接し集積した町並−

 
 尾道はかつて石見の銀の積出港となり、また山陽道も通過し大変な賑わいをしめしていた。ここで紹介する久保町界隈は江戸期の尾道三ヶ町の一つで、街道と港が接するところであった。


  久保三丁目の町並 




久保三丁目の町並 久保二丁目の町並
 
 
 17世紀後半の寛文期頃より尾道には北前船の寄港が見られ、海岸の数箇所が埋立てられ新たに港が造成された。久保町には藩の銀札場が設けられており、港町の中でも中心的地区であったことがわかる。銀や年貢米をはじめ、油や綿、煙草、畳表、茣蓙などが積出され、反対に干鰯などが陸揚げされた。大坂や日本海各地との往来が多く、それらの土地の産物も持込まれた。
 明治22年尾道町へ編入され、以来市街中心の東を占める。東部の三丁目は住宅地が展開しこの付近まで来ると観光客の姿は少なくなる。商店に混ざって大阪などで見られる屋根部分を2段・3段重ねにしたような外観の都市型町家を中心に平入り町家の佇まいがあった。古くから使われている井戸など、生活に根ざした風景も展開し町歩きが楽しめる。一方で西側は繁華街や商店街が卓越する町並となっている。二丁目の南側はいわゆる飲み屋街であるが、それらは昭和レトロを感じさせる路地風景を展開させ面白い。この付近にはかつて遊里が置かれていたとのことで、その流れが踏襲されているともいえる。一部では二階部分に欄干を付けた木造家屋の対峙する狭い路地もあった。
 町域の西端は商店街に接し、外来客を歓待する風に改装した古い建物も遠近に見られる。しかしその比率は低く、洋風の建物や伝統的な旅館などもあって、歩いていても古い町であることが町並全体から伝わってくる。
 尾道というと一般にイメージされる千光寺山麓の坂道の路地や寺院群は古い町並としては捉え難いものがあるが、この久保町界隈は江戸期に遡る港町でありまた街道町であり、古い町並として評価できよう。
 
 




久保二丁目の町並 久保一丁目の町並




久保一丁目の町並 十四日元町の町並

訪問日:2008.11.09 TOP 町並INDEX