土堂界隈の郷愁風景

広島県尾道市【住宅地】 地図
 町並度 5 非俗化度 3
 −鉄道敷設とともに移転した邸宅と別荘群−
 








東土堂町の町並 斜面を克服し住宅地や別荘地が展開する




西土堂町には洋風の外観を示す邸宅も見られる(2016.06撮影)
 
 
 土堂地区は尾道駅付近から東側の一帯、連なるアーケード商店街の過半と山麓の良く知られた斜面上の住宅地も含まれ、観光客の訪れも多い地域である。地名の由来は付近に辻堂があったことで、それが転訛したものという。
 江戸時代には尾道浦の一つに数えられた港町・漁村であったが、尾道町奉行所が置かれ、『芸藩通志』によれば町の長さ5町6間半。綿座や問屋座も置かれ商活動も盛んであった。
 現在は商店街等が展開する港に近い地区と千光寺山山麓一帯にある寺院区域は山陽本線や道路によって画然と分かれている印象を抱くが、かつてはこの一帯にも町場が展開し、港と寺は参道で一直線に結ばれていた。現在でも商店街と直角に交わる石畳道や、小路の先に階段が連なり寺の門に達している風景などが残っている。
 特筆される斜面上の住宅地は鉄道開通に伴う移転により形成されたものといってよい。平地に住宅地に適した平地が既に無かったのであろう。鉄道が建設されたのは明治半ばであるので、既に十分古い町並といってよいだろう。また別荘地としても利用され、傾斜の緩い場所を中心に門に囲われた厳かな邸宅も見られる。また斜面の急な西土堂町付近では主屋の脇に洋風にしつらえた屋根を持たせた家屋が幾つか見られ、これらは駅前から仰ぎ見ることも出来る特徴ある眺めとなっている。当時としては斬新な造りであったに違いない。
 界隈には観光客が目立つ区域も含まれる。しかし、邸宅群には観光客に迎合したような構えは一切無く、町並探訪としても見応えのある一帯である。
 一方西土堂町の西に接する三軒屋地区に向うと造り酒屋や間口の広い商家建築が幾つか固まって残り、土堂界隈とはまた趣の異なった町並風景が展開していた。




三軒屋町の町並 造り酒屋を中心とした佇まいが残る

※注記の画像以外は2019年9月撮影

訪問日:2016.06.18,2019.09.28 TOP 町並INDEX