遠敷の郷愁風景

福井県小浜市<商業町> 地図
町並度 6 非俗化度 10 −若狭屈指の町 小浜城下と張り合うほどであった−







小浜市遠敷の町並
 
 若狭地方の中心地・小浜から南東に3kmほど隔たった田園地帯に遠敷(おにゅう)という土地がある。小浜線東小浜駅の近く、国道27号線を挟んで展開する。
 遠敷は地域の中心的地名として長らく息づき、古くは小丹生と記されていたというがその後遠敷の字が充てられ、若狭地方の文化の中心を担うほどのものであったという。
 中世から定期的に位置が開かれ、また若狭の国衙に近いことからその運営に必要な物資の集積もあったのではと考えられている。中世末期には、既に毎日市が開かれていたことが記録されている。
 遠敷村は戦後しばらくして小浜市に編入されるまで独立した自治体で、江戸から明治、大正そして昭和初期に至るまで小浜城下の東側に大きく開ける後背地の経済の中心として物資の取引がここに集い、在郷商業町としての栄えは小浜を凌駕するほどでもあったという。地図を見てもわかるようにこの付近は若狭では珍しく平野が広がり、農産物に恵まれる地域である。付近の山地を含めると小浜城下にとっても相当な重要度を占める地区であったに違いない。
 国道を通過するだけではこの町並の存在は気付くことはないだろう。町並は古い街道に沿って彎曲、そして屈折し現代交通にそぐわないものであったことが幸いした。国道沿いは町の郊外らしい非常に殺風景な風景が展開する一方で、この旧街道沿いは打って変わった古めかしさが支配している。平入りの町家が密度濃く連なり、床几や蔀戸の名残など商家の典型的な形も一部では残っている。明治以降も全戸数の3割は商業に従事していたといわれ、現在の小浜市街地と張り合っていたのだという。小浜市街地が戦後近代都市として発展を遂げたのに対し、遠敷はそれ以前の姿を旧態依然として保つことになった。交通僻遠の地という程でもなかったため、過疎化の波をじかに被ることもなかったのだろう。
 古い町並としてはもちろんのこと、古刹や名跡があるわけでもなく注目される度合は極めて低い。だからそれだけに昔のままの町並は自然体で貴重なものである。
 









訪問日:2009.08.15 TOP 町並INDEX