小松の郷愁風景

山口県大島町商業町・産業町 地図 <周防大島町>
 
町並度 4 非俗化度 10  −塩田そして島の入口として賑った町−








小松の町並
  

 周防大島は県の南東端、渦潮で有名な大畠瀬戸を挟んで本州に対峙し、蜜柑等の柑橘農業が盛んな島である。ここで紹介する旧小松村は島の入口にあたるところだ。
 大島大橋が開通したのは昭和51年で、それまでは渡船が頼りであり、この小松地区の島の玄関としての歴史は古い。江戸時代には村内の18名の者が渡船業を請負い、町の潤いの元となっていた。
 江戸初期より毎月二度の市が立ち、その後対岸の柳井や大畠の市に押されて年に三度のみになったというが、それに代って活況の源となったのが製塩業であった。島内でも一番長い屋代川の河口付近は緩やかな海浜に恵まれていたこともあり塩田の開発には適しており、元禄8(1695)年には製塩が開始され、その後二度にわたって開作と呼ばれる塩田開発が行われている。現在も開作の地名が残り、塩田に接した町の外側には本格的な波止場が建設され、北前船の寄港も可能にした。そのため小松の塩は北陸地方を主な販路として町は潤い、また島の物資の積出しもここを拠点としていたため、島内一の賑わいを示していた。比較的平野に恵まれてもいたので農産物も三田尻港(現防府市)が小松産と指定していた綿をはじめ、苫・干ウドン・米、そして酒造も盛んであった。漁業としては沿海で獲れる海鼠の加工品程度で、製塩業そして農業を基盤とした在郷商業町としての発展があった。
 かつて塩田だったところは近代的に開発され、学校や養魚場として利用されている。町はそれをぐるりと取囲むように展開していて、昔ながらの市街地がそのまま残されている。妻入りの町家が所々に残り、一部には塩長者なのか広大な敷地を持った邸宅も散見される。現代になって商店街が発達したらしい色が伺えるが、橋の開通で多くが本土側の大型店などで買物をするのだろう、小さなスーパーマーケットはあるがその他の小売店に活況は感じられなかった。
 塩田に接していた開作地区は街路に沿って妻入りの町家がある程度残っている。家並の反対側は運河のような風景が広がっていて、その先には低平な埋立地のような風景が広がっている。塩田の名残に違いない。多くの家々は製塩業に携わっていたのだろう。


開作の町並

訪問日:2007.09.14 TOP 町並INDEX