横須賀の郷愁風景

静岡県大須賀町<城下町> 地図 <掛川市>
 
町並度 5 非俗化度 6 −木造の旅館が印象的な遠州の城下町−




中本町の割烹旅館・八百甚 新屋町の山中酒造




川原町の町並 東本町の町並




中本町の町並


 大須賀町は遠州灘に面し、北部は丘陵地帯となっているが海岸に近い付近は砂丘地帯であり低平な地形が展開している。
 徳川家康は小笠山の丘陵地が海に迫る位置に天正4(1576)年に横須賀城を築いた。以後幕末まで約300年にわたり横須賀の町は城下町として位置づけられていた。初代城主は大須賀康高で、その後の主な変遷は正保2(1645)三河岡崎から入った本多氏、天和2(1682)信濃小諸より西尾氏が移って来ている。大須賀氏の時代から徐々に城下町が整えられ始め、本多氏の時に砂丘地帯の開墾や藩士の屋敷地の拡張などが行われ、現在の基盤が作られている。城下12町が整備され、町政は内10町の持回りによる月番庄屋が、町奉行の下で執り行われていた。
 古い町並は旧来の道幅そのままに旧道が残されていることで比較的程度良く残っている。東西1km強にわたり街村的に連なり、一見街道集落風だ。浜街道と呼ばれる遠州灘沿いの街道はさすがに東海道本筋の賑わいとは程遠いが、脇道として往来も多く町は賑っていたのだろう。城下町が築かれた頃は港町としての機能があり、海上輸送の拠点として繁栄していたそうだが、宝永の大地震により地盤が隆起し、町と海岸線は隔てられてしまったのだそうである。
 中でも目を引くのは木造旅館建築「八百甚」だ。周囲よりひときわ背が高く、妻入りの入母屋屋根となっていることも印象度が強いものとなっている。二階の木製欄干は置屋建築を思わせるような艶かしさすら感じる。この付近を中心として平入りの町家建築が散見される。小規模なものが中心ではあるが、造り酒屋や醤油屋など味のある商家、昭和レトロという言葉を想起させるような商店もあって、町歩きの面白さを感じる町であった。
 この横須賀では城下町の歴史や文化を認識しておられるようで、毎年秋に町家を公開して芸術作品を展示するなどの取組が行われている。途切れることなく続けていってほしいものだ。
 
 


訪問日:2009.01.03 TOP 町並INDEX