太田宿の郷愁風景

岐阜県美濃加茂市<宿場町> 地図 
 町並度 5 非俗化度 6  −太田の渡しで知られる中山道の宿駅 脇本陣が完全に残る−




旧太田宿の町並 左は脇本陣を勤めた林家


 「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と中山道を旅する人々にうたわれたように、木曽川を渡る太田の渡しは難所であった。流れは速くしかも川幅が広いので渡渉は困難をきわめ、洪水の度に渡河地点も移り変わった。増水などで渡れない場合この太田宿が川留めの宿場ともなり賑わいを示したという。また高山方面の飛騨街道、八幡方面の郡上街道の分岐点としても栄え、現に今でも美濃太田駅は高山本線と太多線、越美南線(現長良川鉄道)の分岐駅となっている。
 太田宿は木曽川を挟んで東に伏見宿、西に鵜沼宿を控え本陣・脇本陣それぞれ1軒を備えていたが本陣は門しか残っていない。その代り脇本陣をつとめた林家は非常に間口の広い主屋の両妻部に本うだつを従えた堂々たる構えで、広々とした中庭を有した姿を今に残しており国重文に指定されている。大名通行のない平時には味噌や醤油の製造販売を行っていた商家であった。
 祐泉寺のあたりの街路の屈曲(桝形)に、宿場の色が濃く感じ取られる。500年の歴史のあるこの寺は宿場としての太田の変遷を街道越しに見てきた歴史ある存在だ。古い町並は主にここから西に展開している。先に触れた旧脇本陣の林家が際立っている程度で、見応えのする町家建築が連続するという風ではないものの、街道集落らしい連続性は保たれ、袖壁やうだつなどの意匠の見られる旧家も残っていた。また側道には御代桜酒造という造り酒屋が焼板塀を纏った土蔵など風情ある路地風景を展開させていた。
 
 









御代櫻酒造の通り

 
※全て2009.07再取材時撮影
 

訪問日:1999.01.07
(2009.07.20)
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