千国の郷愁風景

長野県小谷村<宿場町> 地図 
町並度 5 非俗化度 6 −塩を運ぶ多くの人や牛が休泊した宿場町−




 
坂道に沿い展開する千国の町並


 長野県北西部の通称大北地域と呼ばれる中で、大町市は信濃川水系の最上流域であるが、北部の小谷村・白馬村付近は糸魚川に注ぐ姫川の上流域にあたっており、新潟県の県境に向けて標高が下がる地形となっている。姫川の谷は峻険で、土砂崩れや雪崩が頻発するところでもあったが、松本周辺と日本海とを結ぶ重要な道でもあり、特に内陸部で貴重な塩の運搬路となったことで荷の往来が多かった。
 文明15(1483)年の穂高社造営諸役注文には「穂高ノ領四至堺ノ事、東ハ千国大道ヲサカフ」とあり、この頃から既に街道として往来があったことがわかる。
 山国信州のこと、塩は外部からの輸入に頼らざるを得なかったわけだが、特にこの糸魚川との道が塩の道と呼ばれたのは、松本藩が塩に関してはこの街道からの移入に限定させ、中山道や甲州街道などを経由する塩、いわゆる南塩を禁じたからである。塩のほか海産物なども荷として多く扱われ、生活を支えるまさに大動脈だったわけである。
 輸送には牛が多く使われたが、この千国は宿場として栄え、特に牛方宿と呼ばれた。また越後との国境に近く、藩の口留番所が置かれ、通行人や荷の改めが行われた。また物資に対しては運上金もここで取立てがおこなわれた。
 千国の集落は姫川の左岸、やや高いところに展開している。途中でL字型に折れ曲っており、特に南側の坂道に沿って伝統的な家屋が見られる。それらはトタン葺の屋根を持ち、梁組を壁の表面に見せる真壁が印象的だ。屋根はもともと茅葺であったと思われる。
 この付近から北は特に冬期の積雪が甚だしく、牛を使ったとはいえ重い塩俵を運んでの行軍は困難を極めたに違いない。この宿は牛方にとっても牛にとってもひと時の安息が得られる貴重なところだったのだろう。








千国番所(移築復元)


訪問日:2014.09.15 TOP 町並INDEX