堅田の郷愁風景

大津市本堅田 【漁村】 地図
 町並度 5 非俗化度 6   −琵琶湖水運・日本海側各地との交易の拠点であった−
 


 
 大津市堅田は市街中心より北に10km余り、琵琶湖の幅がくびれて狭くなった西岸にあり、地区の北部で琵琶湖大橋によって湖東地区とが結ばれている。
 地区の歴史は非常に古く、平安期から堅田荘の名が見えており、10世紀になると比叡山延暦寺の寺領となった。堅田浦には延暦寺の湖上関が置かれ、漁業、そして各地との交易が盛んに行われた。湖岸には「堅田四方」と呼ばれた宮切・東切・西切・今堅田の4ヶ村が環濠で区切られ、それぞれ町が発達していた。
満月寺の浮御堂  


  堅田商人と呼ばれた商人たちは日本海各地との交易をおこない、琵琶湖航行という北国の産物を京都に運搬する役割の船も多く持ち、大変裕福な町であった。周辺地区の中心としても位置づけられ、その存在は今とは比較にならないほどでひとつの中心都市といって良いほどのものだった。
 産業としては漁業が主で、明治後期以降次第にその数を減らすも大正2年の記録では過半数が漁業に携わっており、漁業専業者210名は県下では沖島に次ぐ多さであった。また、造船業も盛んに行われた。
 本堅田地区の南部、湖岸に位置する満月寺にある浮御堂は地区一番の名所で、湖上に浮ぶように見える姿は琵琶湖八景にも数えられるなど、堅田を象徴する景観となっている。この付近から北側が堅田四方により古くから発達していたところで、商家や町家を思わせる建物が断続的に見られ、湖岸に近い地区ほど見応えがあるのも特徴と言える。これも琵琶湖の恩恵を受けて発達したことを証明するものなのだろう。
 湖岸に古びた石垣が積上げられた地区もあり、その風景だけでも歴史性を感じることが出来る。
 湖西線の駅前付近は郊外型の風景が展開しており個性に乏しいが、この本堅田一丁目から二丁目にかけては全く趣の異なる風情であった。
 




 



 
 本堅田一丁目の町並


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本堅田一丁目の町並


 
本堅田二丁目の町並


訪問日:2025.01.05 TOP 町並INDEX