坂本の郷愁風景

大津市坂本【門前町】 地図 
 
町並度 6 非俗化度 4  −比叡山の東入口 日吉大社門前の町並−


坂本四丁目の町並
 
 坂本は比叡山の東麓の町として古い歴史を刻み、それは延暦寺建立前にまで遡る。延暦寺とともに歩んできた町で、平安期には町が形成されていたといわれ、延暦寺の台所とも呼ばれた。琵琶湖の水産物や周囲の農産物など、食料品の調達に事欠かなかったからだろう。中世には1万人もの人口を擁していて、当時としては大都市であった。
 しかしながら延暦寺は天下統一を目指す武将にとっては非常に目障りな存在で、織田信長によって延暦寺にかかわるものは全て焼き払われている。それは当時、寺社は今では想像も出来ぬほど強大な政治力を持っていたからであった。それでも復興後坂本には里坊と呼ばれる延暦寺での修行後、隠居所として構えられた建物が多く作られ、それは今でも少なからず遺構を留めている。特にその周囲を囲む石垣は穴太(あのう)衆積と呼ばれる一見脆弱そうに見えながらも構造的に非常に優れた石の積み方がなされていて、この里坊群界隈が重要伝統的建造物群保存地区に指定される要素となった。 この石積の技法は彦根城や篠山城など城郭の石垣にも応用されている。
 一方で比叡山麓に鎮座する日吉大社は7世紀に大和大神神社より勧請されたのが始まりという、これも非常に古い歴史を持つ神社で、延暦寺との関係は、寺院と神社という相容れぬものではあったが日本独特の「神仏習合」という信仰形態によって同時に崇められ、神と仏が融合した場としての一大門前町がこの坂本だったのである。
 琵琶湖の水運も得て、坂本は山門の外港的な役割を持ち、江戸に入ると京の入口を司る関門の一つとしても位置づけられていて、信仰的のみならず経済的、政治的にも重要な町であり続けた。
 坂本の町は琵琶湖から緩やかに傾斜する斜面上に立地していて、町を歩くとときに琵琶湖を遠望することもできる。京阪電鉄の駅前は日吉参道で、比叡山に向い緩やかに登り、その両側そして横道には独特の石垣に縁取られた里坊群を見ることが出来る。
 





坂本四丁目の町並 創業250年の鶴喜蕎麦(登録文化財) 多くの探訪者を受入れて来たのだろう

 古い町並という視点でいうと、重伝建地区の里坊地区よりむしろその南側の街路筋に町家建築がある程度連続して残っていることの方が価値が高い。京阪電鉄の線路の北側の街路筋、日吉参道を挟んだ北側にもそれは連なっている。平入りで虫籠窓を残していて、煙出しの小屋根や一階部の格子などの意匠も往時のまま残されているものも少なくない。いずれも間口が広く正面が開放的な構造になっているものがほとんどで、延暦寺や日吉大社に参詣・参拝する旅人相手に商売をしていた家々なのだろう
 



坂本六丁目の町並




里坊群と石垣がこの町を象徴している

訪問日:2007.07.16 TOP 町並INDEX