大津の郷愁風景

大津市中央他<宿場町・商業都市> 地図
 町並度 5 非俗化度 7 −東海道と琵琶湖水運双方で繁栄した町−

中央二丁目の町並


 大津は古くから琵琶湖水運の拠点であり、また東海道の宿駅も設けられ都市型の町並が展開していたところである。
 平安遷都以降、大津は北陸方面と都を結ぶ拠点として発達し、後に江戸期になって経済活動が活発になると、湖北の塩津浦などとの間に船が往来し、北国の物資が行交った。
 中世までは大津城が存在していたが、江戸期には城を膳所に移し商業町そして港として大きく発展することとなった。幕府の直轄領となっていたことも発展に大きく影響した、
 宿場町としては、本陣2・脇本陣1を有し、70余りの旅籠を持つ大きな構えであった。それは大津自身が大きな町場を展開させていたこともあり、旅籠も水陸双方の旅客・商用客を受け入れていたのだろう。問屋をはじめ名産大津そろばん、大津針などを売る店も街道筋を中心に多数あり、多くの旅人が求めていった。
 ここでは旧東海道筋を中心とした風景を紹介するが、現在でも思いがけぬほどの伝統的な建物があり古い町並としての体裁は十分整っていた。旅籠などの宿泊業を営んでいた建物は残っていないようであるが、商家建築は多数残り、それらは恐らく明治以降に建てられた(建替えられた)ものが多くを占めていると思われる。
 家並が途切れると遠方に琵琶湖の湖面が望まれるところで、往時の旅人もそれを見て京も目前と気を引締めていたに違いない。




中央二丁目の町並




京町二丁目の町並 中央一丁目の町並



長等二丁目の町並(鮒寿司の老舗)
 


訪問日:2010.12.05 TOP 町並INDEX