大内宿の郷愁風景

福島県下郷町<宿場町> 地図 
 
町並度 8 非俗化度 1 −茅葺屋根が見事に連続する旧会津西街道の宿駅−
 

 日光街道の延長として江戸と会津地方を直結していた会津西街道(または下野街道)の宿駅としての当時の町並風景がよく保存されているとされ、昭和56年に重要伝統的建造物保存地区に指定された下郷町旧大内宿。当時はトタン屋根で被われた民家が多数を占めていたが、補助を受けて徐々に茅葺が復活し、茅葺屋根の宿場町として全国的にもよく知られた古い町並となっている。
茅葺屋根の家が連続する大内宿


 


大内宿の町並

 しかしその足取りは平坦ではなかった。昭和42年に茅葺職人の取材でここを訪ねた大学生が着目し、文化庁に保存の必要性を説いたとのことである。テレビや新聞でも紹介されたが、地元での認識は真っ二つに分れていた。昭和52年にはこの町を流れる川の上流に大内ダムが着工され、その補助金で茅葺は急速に姿を消し、アルミサッシが普及していたのだ。トタンに被われた元茅葺屋根の集落は、それがいかに連続していても古い町並としての雰囲気はないものである。
 近年茅葺屋根の復元・修繕とともに、街路の舗装を外し土道としたり、発掘調査を行い街路の両端を流れる水路の整備などを行った。それらによりこの大内宿は宿駅として現役だった頃の外観を、当時以上に程度よく整えているとも言える。
 町の東端に急な石段があり小さな神社に通じている。そこから見下ろす大内宿の家並は感嘆に値するほどのもので、完全に茅葺で統一された奥行の深い民家が連続し、この俯瞰図は日本全国の集落景観でも第一級品であろう。
 ところが、集落の中に入るとその荘厳ともいえる印象は異なったものとなってくる。端正に保存された茅葺民家はほとんど全てが土産物屋になっているからだ。外観と実際でこれほど違う町並も珍しい。街路を歩いていると、ここは茅葺屋根の家を移築、または見せ物でこしらえたテーマパークではないかとの錯覚すら覚える。かなり有名な町並でも連続する旧家が全て土産物屋ということはまずない。そうした意味でこの町は、重伝建以後往時の宿駅の雰囲気を前面に出しながらも、観光地としての知名度、収入増にいかに力を注いできたかということがわかる。
 しかしその観光地化の度合いも各家の軒先のみに限られているようで、建物や屋根の意匠などは実に忠実に昔を保っていた。定期的に葺替えを擁する茅葺の維持だけでも大変だろう。
 今はこんな山奥の地にこれほどの豪壮な家々を持つ町があること自体が意外性を持っているといえる。江戸期は崖の険しい阿賀川沿いを避け、この大内宿から峠を越えて会津若松に至る道が本筋であった。会津藩主をはじめ越後新発田藩、山形県の米沢藩主の参勤交代や江戸廻米の輸送などに重要な役割を果たしていた。




大内宿の町並
 


大内宿の町並


訪問日:2005.05.20 TOP 町並INDEX