奈良県大宇陀町<商業都市・城下町> 地図 <宇陀市> 町並度 8 非俗化度 4 −山懐に抱かれた吉野葛の町− |
大宇陀町は奈良県の中部、奈良盆地の東側の山間にある町である。この町の由来は松山城と呼ばれた中世の城下町で、17世紀前半には城としての役目を終えているが、引続き織田信長の次男にあたる信勝が陣屋を構えたことにより政治的中心の地位は保たれた。街道沿いに計画的に家々を配置し陣屋町が築かれた。近隣の「うたの市」と呼ばれた菟田野町古市場から多くの商人が呼寄せられたのだという。 |
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大和盆地と伊勢方面を結ぶ旧街道沿い及びその脇道に沿い典型的な町家建築の連なる大宇陀の町並 | |
また大宇陀は伊勢と大和を結ぶ交通の要でもあり、その往来の多さが商業が発達する基盤でもあった。町並を端まで歩いても20分ともかからないのに、薬屋の多いのに驚く。それも古い木製看板を掲げたりしてかなりの老舗と見られる。また、吉野葛の商家も複数あり、「元祖吉野葛製造本舗 森藤」の木製看板のある旧家では今でも生産され続けている。葛のさらし工場やその製造過程を資料館で学習できる。その裏山は「森野旧薬園」として公開され、ここの11代目籐助が幕府の命を受け各地より収集したもので、地味もよかったことから今でも118種類の薬草が見られ、その種類の多さと薬効の多様さに驚かされる。ここから見る大宇陀の町は、渋い黒瓦屋根が並び、ひっそりと落着いた町並であることがわかる。 平入りで統一された街道筋の家々は中二階・袖壁・虫籠窓などの意匠が見られ、また二階の立上りが隣接する建物間でまちまちであるのは、建てられた年代がお互いで大きく異なっていることを表し、長きに亘って町の繁栄が続いていたことを物語っているようだ。 |
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「森野旧薬園」より葛工場と町並を見る(2001・04撮影) |
※注記のある画像以外は2008年7月再取材時撮影
訪問日:2001.04.29 (2008.07.20再取材) |
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