大鰐の郷愁風景

青森県大鰐町【温泉町】 地図 
町並度 4 非俗化度 6 −津軽藩の湯治場として利用された由緒ある温泉町−


駅前付近には看板建築の商店などが連なる

 大鰐町は弘前の南東10kmほど、津軽平野が尽きる位置にあり南は秋田県に接する。奥羽本線や弘南鉄道の駅、東北自動車道のICもあり、近郊及び遠方からの交通の便は比較的良いところである。
 駅の南側は主に商業地、川を挟んだ東側は旅館や共同浴場の眼につく温泉町となっている。






共同浴場の一つ若松会館 温泉客舎という自炊宿も残る




 

 温泉が発見されたのは12世紀末頃ともいわれる。承応2(1653)年の『津軽領道程帳』には「湯ノ川原」と記され、天和4(1684)年の村絵図には「青柳温湯」「山吹湯」などが見える。津軽藩はここを湯治場として整備し、御仮場と呼ばれる別荘をつくり歴代藩主が度々湯治に訪れたという。庄屋や湯聖という独特の役を任命して管理させた。
 温泉地として整備されると、羽州街道沿いにもあったことから次第に大鰐の名は広く知られるようになった。江戸前期の元禄年間には既に「諸国温泉功能鑑」(いわゆる温泉番付)にも格付けされた。江戸後期になり街道の往来が盛んになると賑わいは増し、さらに明治28年に奥羽本線が開通すると遠方からの旅客も増加し花街も存在したという。但し温泉旅館としては簡素なものが多く、民家のような宿舎に部屋を貸すだけのものが主体であり、客は自炊が主体だった。客舎と呼ばれるもので、これは現在でもごく一部に残っている。
 町中を歩くと、まず駅に近い地区は商店街となっており、看板建築が多く見られ古い町並的な景観を残していた。「林檎移出商」の文字の見える商店もあった。温泉街では、共同浴場や民宿などが昔ながらの風情を感じさせるが、由緒ある温泉地であるのに随分賑わいが少ないというのが気になるところだ。ある程度の団体も受け入れるような旅館は数軒で、土産物街や歓楽街的なものは見られない。温泉自体は依然として人気が高いが、実際は大きな観光地となっている一部の温泉地、または日帰り入浴施設などにお客が偏っているのだろう。このような現象は全国各地の温泉地に共通している。
 私は小さな温泉民宿に宿泊したのだが、宿の食事に「大鰐もやし」という地場産のもやしが出た。江戸期に藩は温泉の地熱を利用して菜園も運営しており、この温泉もやしがその名残のひとつである。通常のもやしに比べると細いがかなり歯ごたえのある独特の味わいで、生産量も少なくここで泊るかしないと食べることのできないとのことだ。

 

訪問日:2016.12.30・31 TOP 町並INDEX