瀬戸の郷愁風景

愛知県瀬戸市【産業町】 地図
 
町並度 5 非俗化度 5 −わが国を代表する焼物の町−





 瀬戸市は市街地の表向きの風景は名古屋の郊外地というイメージであり、都心から30分余りの距離にある。
 この町はいうまでもなく焼物の町として全国に知られ、瀬戸物という言葉があるほど窯業とともに発達した。現在でも基幹産業として息づいている。
仲洞町の町並




仲洞町から東洞町にかけて「窯垣の小径」が窯元をつないでいる
 

 
 窯業の歴史は記録に残るものでも11世紀にまで遡る。12世紀頃には多くの窯が存在し、既に産業として発達していたという。戦国期には戦乱の多かったこの地から離れる業者が一時多く現れたが、信長による保護政策により徐々に戻っていった。それは窯屋に土地を付与し、租税を免除するというものであった。
 江戸時代に入ると、尾張藩主により産業振興政策が行われ、基幹産業として本格的な発展を見る。18世紀後半の安永期の記録では142軒の窯屋が存在している。また、その頃まで製作されるものは陶器のみであったが、肥前有田で磁器の生産が盛んになるにつれ瀬戸でもその技術を学び、磁器が生産されるようになった。陶器より薄く丈夫である磁器は重宝され、販路を拡大させた。磁器を焼く釜屋は新製焼と呼ばれた。
 明治以降、それまでの旧態な商売制度から製造業者の自由売買が行われるようになり、法人組織の設立、さらに海外への輸出も行われるようになり、近代産業としての窯業が確立した。
 名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅付近は郊外の駅前風景といった雰囲気である一方、そこから東側の丘陵に差し掛かる辺りにかけては窯元が今でもひしめく一帯である。特に仲洞町・東洞町付近は町並的にも風情ある一帯となっている。山裾には窯垣の小径と呼ばれる散策路もある。これは古くから窯業が盛んだったこの洞町のメインストリートだった道だという。今でも窯元にを結びながらの坂道となっており、陶磁器や窯の材料などが塀に使われていたりして観光客の訪れも多い一帯である。
 その北西側の東郷町、陶生町にかけてもやや古い町並が残り、二階部に木製欄干を残す建物や一部には大柄な邸宅も見られる。西に接する末広町は一部がアーケード街となっているが、その中にも伝統的な建物が見られ、旅館の看板も見られる。この付近が瀬戸の旧市街中心だったのだろう。
 尾張瀬戸駅に近い朝日町、窯神町付近にも商店街とその周辺に古い建物が散見される。
 この町を訪ねる客は多くが焼物を求めてだろうが、その前衛に位置するこの界隈をもう少し外向きに構えることで、伝統的な建物も生きてくるのではと思う。




「窯垣の小径」近くにある窯元 東郷町の町並




末広町の商店街 古い建物も見られ旅館の看板を掲げたものもある 窯神町の町並

訪問日:2014.11.23 TOP 町並INDEX