尾鷲の郷愁風景

三重県尾鷲市【港町・産業町】 地図 
 町並度 5 非俗化度 8 
−紀北地区を代表する港町 多雨の恵みを得て林業が発達した−





港町の町並 中井町の町並



朝日町の町並


 尾鷲をはじめとする紀伊半島南東部はわが国でも有数の多雨地帯として知られる。これは太平洋側の南東斜面にあることから、台風や暖湿流の影響を受けやすい地形的宿命ともいえ、年間降水量は4000mmにも達する。
 しかしこの地域ではその豊富な降水量を糧に木材の生産が古くからさかんに行われ、尾鷲はその集散地であった。海に面することから漁業も勿論盛んであったが、林業はより安定的な財源であったため従事する者も多く、江戸時代よりこの町の基幹産業であった。藩の植林奨励により、杉や檜を植え付けた者にはその所有権が与えられたことによりますます林業が発展する要素となった。しかしその政策の推進は、土井家を中心とした寡占的大所有者に集中することにもなった。
 また木材や海産物の輸送を司る商人も多数あらわれ、18世紀後半の記録では10数隻の廻船が存在していた。大きな廻船は江戸と交易し、小規模なものは尾張や大坂などと行き来するものが多かった。
 漁業は鰹や鰯、秋刀魚、ボラをは
じめ黒潮の本流に近い地理的優位さから多くの漁獲量を得た。
 市街地は紀勢本線の駅から東側に大きく展開している。古い町並は海岸に近い、北と南を二つの川に挟まれた港町・中井町付近から林町にかけて残っている。そのたたずまいは港町や漁師町というよりも、平入り切妻の町家が目立つ商業町的なものであり、これはやはり林業で栄えた問屋や商人に由来するものが多いためと思われた。
 林町の一角には石垣に囲われて一段高くなった土地に「在蔵」が現存している。最近は空手道場などに利用されているそうだが、かつては紀州藩への廻米や、飢饉に備えての備蓄米を蓄蔵しておく倉庫であったそうで、漆喰に塗り回された頑丈そうな建築である。これは囲米と呼ばれていたそうで、水田に適した耕地に乏しく、他所から米を移入せざるを得なかった尾鷲の人々にとっては非常に重要な意味を持つ蔵であった。






朝日町の町並 林町の町並




林町の町並 朝日町の町並

 

訪問日:2010.10.10 TOP 町並INDEX